部下が育たない……マネジメント経験のある女性にとって一度は感じたことのある悩みではないでしょうか。数多くの企業でアドバイザーを務める経営学者の宇田川元一さんが、職場の「育たない」部下から解放されるため方法を教えてくれます。解決の糸口である「ナラティヴ」とは――。

※本稿は宇田川元一『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/martin-dm)

相手を変えようとする前にやるべきこと

社会で働く中で、私たちは気がつかないうちに「私とそれ」の関係性を相手との間に構築していることがよくあります。うまくいっているならば、無理にそれを変える必要はありません。しかし、そこから何か想定外の問題が生じたときなど、適応課題(人間関係などが妨げになり技術的な方法で解消できない課題)が見出されたとき、私たちはその関係性を改める必要が生じていると考えることができるでしょう。

その一歩目として、相手を変えるのではなく、こちら側が少し変わる必要があります。そうでないと、そもそも背後にある問題に気がつけず、新しい関係性を構築できないからです。

しかし、「こちら側」の何が変わる必要があるのでしょうか。

それはナラティヴです。「ナラティヴ(narrative)」とは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のことです。物語といっても、いわゆる起承転結のストーリーとは少し違います。

解釈の枠組み、ナラティヴ

いくつか例を挙げてみましょう。上司と部下の関係では、上司は部下を指導し、評価することが求められる中で、部下にも従順さを求めるナラティヴの中で生きていることが多いでしょう。

また部下は部下で、上司にリーダーシップや責任を求め、その解釈に沿わない言動をすると腹を立てたりします。つまり互いに「上司たるもの/部下であるならば、こういう存在であるはず」という暗黙的な解釈の枠組みをもっているはずです。

つまり、ナラティヴとは、視点の違いにとどまらず、その人たちが置かれている環境における「一般常識」のようなものなのです。

こちら側のナラティヴに立って相手を見ていると、相手が間違って見えることがあると思います。しかし、相手のナラティヴからすれば、こちらが間違って見えている、ということもありえるのです。こちらのナラティヴとあちらのナラティヴに溝があることを見つけて、言わば「溝に橋を架けていくこと」が対話なのです。

そもそも人が育つとはどういうことか

ここでぜひ考えてみたいのは、そもそも人が育つとはどういうことかということです。

仕事に対して必要な能力がその人の中に形成されることを人が育つと理解している人は多いと思います。だから、その仕事と能力の差を埋めることが、育成であるという考え方で、一般的には研修が行われたりしています。確かにそれも大切なことでしょう。しかし、私は、人が育つというのは、その人が携わる仕事において主人公になることだと考えます。先に述べた仕事で必要な能力がその人の中に形成される、ということについてもう一歩踏み込んで考えてみると、それは、当該の人ではなく、誰かが決めた仕事全体の中で、部品としてその人が機能するようになることを意味します。しかし仕事の主人公になるとは、その人の仕事の中において、そうした「能力」を生かしていく存在になっていくことであると思います。

部下を「仕事の主人公」にするとは

つまり、その人のナラティヴの中に、様々に学んだことが意味のあるものとして位置づけられるようになる必要があります。この相手なりの仕事のナラティヴの形成という側面を抜きに、「能力がない」と一方的に決めつけても、意味の感じられないことに頑張れないのは当然です。結果的には能力も伸びませんし、場合によっては辞めてしまうかもしれません。

この主人公、ないし当事者としての側面がうまく構築されていかないと、いつも頑張っているのに認めてもらえない(他者視点での自分の評価に依拠している)、仕事の意味を感じられない(生活のためにつまらない仕事を我慢している)、自分が生かされていない(自分のために組織があるという過度な自己意識)という状態から抜け出せないまま、悶々として過ごすことになります。

このような状態の人に、いくらタスク遂行能力を身につけさせようと、研修をしたり、本を読ませたり、色々と過去の話を聞かせたり、どんな努力をしても、結局それは、当人の人生にとって意味が感じられないので、忘れていってしまいます。結果、「能力」すら大して向上しないでしょう。

「部下の能力向上」をいったん脇に置く

誤解のないように申し上げますが、能力開発が無駄だと言っているわけではありません。それ以前に、仕事におけるナラティヴを形成していくことが疎かになっているという問題があると言っているのです。だから、上司の視点と尺度で「部下の能力を向上させよう」というナラティヴを一度脇に置くことが大切なのではないでしょうか。

一度脇に置いた上で、対話のプロセスを大切にしながら、部下が仕事のナラティヴにおいて主人公になれるように助けるのが上司の役割なのではないでしょうか。

「主体性がない」ように見える部下

仕事のナラティヴにおいて主人公になるというと、「主体性を発揮すること」だと理解される方もいらっしゃるでしょう。そして、主体性を発揮しない部下に不満を感じているかもしれません。

宇田川元一『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』(NewsPicksパブリッシング)

しかし、友人同士の関係性では活発な人間が、仕事では主体的でないというような場面を考えてみると、これはそもそも主体性の問題なのでしょうか。ここでいう「主体性」とは何なのでしょうか。

実は主体性を発揮してほしいと思うことは、こちらのナラティヴの中で都合よく能動的に動いてほしいと要求していることがほとんどです。そして、今の職場のナラティヴの中で活躍できる居場所を失ってしまっているので、「主体性がない」ように見えるに過ぎません。

部下のナラティヴに迎合する必要はありませんが、あなたのナラティヴとの溝に橋を架けていくことが大切です。そうすることで部下もまた、仕事のナラティヴの中で、居場所を見いだし、活躍できるようになるからです。