働きすぎ問題を解決するための目標設定
先に日本の法定労働時間の上限を1日6時間に、週30時間にという提案を述べましたが、要するに目標値としてドイツ並の水準を置かないと、日本の働きすぎの問題は根本的には解決できないのではないかということです。
少なくとも法定労働時間一日6時間化には、働きすぎの解消と間接的な子育て支援、日本の労働生産性向上、企業社会との妥協による実現可能性という少なくとも3つの利点を見出すことができそうです。
前述の通り、36協定による残業を認めるのであれば、急には総実労働時間の短縮は困難でしょうが、この間、均してみると、一般労働者のそれが法定労働時間の上限に収斂していることを念頭におくなら、この上限を下げる効果は大きいかもしれません。実際、各職場の働き方のルールを定める就業規則のサンプルを厚生労働省が作っていて「モデル就業規則」が公開されていますが、そこでも基本的には法定労働時間の上限が念頭に置かれています。出退勤時間を1時間ずつ変更すれば男女ともに子どもの送迎などにも時間を使いやすくなりそうです。単純に余暇が増えて趣味などにも時間やお金を使いやすくなりそうですね。法定労働時間は現状、ほぼ標準的な労働時間と見なされていますから、これを短くしたほうが多様な働き方を促すことにも繋がりそうです。
生産性の向上が見込める
もうひとつ別の視点からいえば、日本の低労働生産性の解消にも貢献しそうです。生産性というと、最近では職場で最大パフォーマンスで働くことのようにも考えられていますが、乱暴にいえば、付加価値額を労働時間で割ったものになります。この労働生産性が日本はOECD加盟36カ国中、バブル期を除くと、概ね20位前後で推移してきたことが知られています。人口減少下においては、確かに1人あたりGDPの改善も重要ですが、分母にあたる労働時間を短縮することも重要です。職場で少々合理的かつ効果的に働いたところで直接付加価値額には影響しないからです。しかし分母にあたる労働時間の短縮は、法定労働時間短縮を通じた半強制的実施によって、本来は顕著な影響を与えることができるからです。
企業社会との妥協というのは何かというと、要するに実現可能性だと考えてもらえればよいと思います。日本の企業社会は、少なくとも経済3団体ということでいえば総じて、90年代前半頃から一貫して解雇規制の緩和や非正規雇用可能職種の拡大、最低賃金引き上げ反対、公務員削減(単位人口あたりの公務員数は日本は低水準で、多くの国で公務員は重要な雇用先となっています)等の多くの労働者にとって利点の少ない、しかし多くの企業で重要な人件費の抑制という企業にとって利点の大きい政策を主張し、資金と票の2つの側面で自民党政治に大きな影響力を持ってきたこともあって次々に形にしてきました。またこの間、教育や行政改革など経済以外の分野での発言権を拡大させてきました。
しかしその一方で、平成の30年における日本の経済成長率は実質で1%前後、潜在経済成長率(乱暴な言い方でいえば、将来の経済成長のポテンシャルのことです)は1%を下回る水準で推移してきました。
少なくとも経済系の利益団体は低経済成長の直接的な責任もろくにとらないまま、いまも働き方はいうに及ばず経済以外の分野、政治や教育にまで根拠の乏しい「改革」を要求しています。働き方に関していえば解雇規制の緩和や非正規雇用の拡大、裁量労働性の適用職種拡大です。
いずれにせよ、日本の企業社会は賃上げ(ベースアップ)や最低賃金引き上げなどに対して消極的です。しかしながら、労働関連の法律が総じて政治、行政、労使の交渉を通じて決定されていくことを思うと、企業社会との調整(妥協)が不可欠です。最近の働き方「改革」でも政治と企業社会が圧倒的に優勢で、相当程度企業都合が反映されています。