働き方改革の効果のほどは……
日本では残業時間を除いて、一日8時間、週40時間というのがひとつの標準的な働き方になっています。読者の皆さんの職場の標準的な勤務時間もだいたいこのように定められているのではないでしょうか。労働基準法という法律によって定められている法定労働時間の上限がこのように定められているため、就労規則というやはり職場に必ず定めなければならないルールにその数字が反映されているためです。
なお現実の多くの職場には残業が存在すると思いますが、残業については労働組合などの労働者の代表と使用者(≒勤め先)が合意のもと定めて監督官庁に届け出た協定(いわゆる「36協定」)に基づき、働き方によって若干変動しますが、基本的には月45時間まで認められています。それらについては割増賃金が支払われなければなりません。「サービス残業」は言うまでもなく違法行為です。
いずれにせよ、日本人は働きすぎだということが言われてきました。もしかすると、最近の働き方改革の影響で、日本人の労働時間は減少して、最近では働き方の問題は解決したのではないかと考えている人もいるかもしれませんし時々報道でもそのようなニュースも流れますが、実際にはそうとはいえません。
正規雇用の労働時間は減っていない
確かにこの間、労働者全体でみたときの年間の総実労働時間(実際に働いた時間のことです)は減少していますが、一般労働者(正規雇用の労働者と考えてください)のそれはほぼ横ばいで平成の時代を通して現在に至るまで、ほぼ2000時間で推移しています(詳しくは厚生労働省の「毎月勤労統計調査」を参考にしてください)。
年間2000時間ということは、一年間は52週ですからほぼ週40時間という計算になります。有給などの休日と、残業時間の影響を均すと、ほぼ先の法定労働時間の上限と合致して収斂しているといえそうです。
それではなぜ労働者全体で見ると、年間の総実労働時間は減少しているのでしょうか。一言でいえば、日本社会の高齢化や非正規雇用労働者の増加の影響だと考えられています。この間、労働者に占める非正規雇用比率は増加し続け、2018年の時点で40%近くになりました。人口ボリュームの大きい年長世代の定年延長で65歳まで再雇用制度などで働き続けている人が増えていることなどが影響していると考えられています。
1日6時間、1週30時間制を!
筆者はこの法定労働時間の上限を、36協定による残業を残しながら、一日6時間、一週30時間に短縮するべきだ、と考えています。出勤時間を1時間遅くし、退勤時間を1時間繰り上げるイメージです。どうでしょうか。企業社会(いわゆる財界、経済界のようなものだと考えてください)に妥協しないのであれば、最低時給(最低賃金)を現在の約1.3倍程度にし、妥協するのであれば現状維持、あるいはその中間を組み合わせると尚良しだと思うのです。労働時間を減少させたときに、最低賃金を引き上げることで総額に影響しないようにということです。あまり知られていませんが、最低賃金の金額は時間給で働いている人だけではなく広く労働者の賃金水準に影響します。月給制で働いている人も、月給を労働時間で割ったときに、最低賃金を割り込まないようにしないといけないとされているからです。
日本の実情に照らして「非現実的な夢物語だ」と思われるかもしれませんが、先に述べた日本の法定労働時間は世界屈指の水準でゆとりある働き方と好景気を両立してきたドイツの法定「最大」労働時間1日8時間、週48時間と同じ水準です。実際、ドイツの総実労働時間は年間1400時間を下回る水準ですから、週あたり約27時間、一日あたり6時間を割り込む水準です。なおドイツはこの間、欧州屈指の安定成長を遂げてきたことでも知られています。
ドイツだけではありません。フランスの場合も1週35時間ですから、一日あたりだと7時間ということになります。要するに我々の「働き方の常識」は必ずしも自明のものとはいえないかもしれないのです(英米、韓国などは労働時間が長いことで知られています)。
働きすぎ問題を解決するための目標設定
先に日本の法定労働時間の上限を1日6時間に、週30時間にという提案を述べましたが、要するに目標値としてドイツ並の水準を置かないと、日本の働きすぎの問題は根本的には解決できないのではないかということです。
少なくとも法定労働時間一日6時間化には、働きすぎの解消と間接的な子育て支援、日本の労働生産性向上、企業社会との妥協による実現可能性という少なくとも3つの利点を見出すことができそうです。
前述の通り、36協定による残業を認めるのであれば、急には総実労働時間の短縮は困難でしょうが、この間、均してみると、一般労働者のそれが法定労働時間の上限に収斂していることを念頭におくなら、この上限を下げる効果は大きいかもしれません。実際、各職場の働き方のルールを定める就業規則のサンプルを厚生労働省が作っていて「モデル就業規則」が公開されていますが、そこでも基本的には法定労働時間の上限が念頭に置かれています。出退勤時間を1時間ずつ変更すれば男女ともに子どもの送迎などにも時間を使いやすくなりそうです。単純に余暇が増えて趣味などにも時間やお金を使いやすくなりそうですね。法定労働時間は現状、ほぼ標準的な労働時間と見なされていますから、これを短くしたほうが多様な働き方を促すことにも繋がりそうです。
生産性の向上が見込める
もうひとつ別の視点からいえば、日本の低労働生産性の解消にも貢献しそうです。生産性というと、最近では職場で最大パフォーマンスで働くことのようにも考えられていますが、乱暴にいえば、付加価値額を労働時間で割ったものになります。この労働生産性が日本はOECD加盟36カ国中、バブル期を除くと、概ね20位前後で推移してきたことが知られています。人口減少下においては、確かに1人あたりGDPの改善も重要ですが、分母にあたる労働時間を短縮することも重要です。職場で少々合理的かつ効果的に働いたところで直接付加価値額には影響しないからです。しかし分母にあたる労働時間の短縮は、法定労働時間短縮を通じた半強制的実施によって、本来は顕著な影響を与えることができるからです。
企業社会との妥協というのは何かというと、要するに実現可能性だと考えてもらえればよいと思います。日本の企業社会は、少なくとも経済3団体ということでいえば総じて、90年代前半頃から一貫して解雇規制の緩和や非正規雇用可能職種の拡大、最低賃金引き上げ反対、公務員削減(単位人口あたりの公務員数は日本は低水準で、多くの国で公務員は重要な雇用先となっています)等の多くの労働者にとって利点の少ない、しかし多くの企業で重要な人件費の抑制という企業にとって利点の大きい政策を主張し、資金と票の2つの側面で自民党政治に大きな影響力を持ってきたこともあって次々に形にしてきました。またこの間、教育や行政改革など経済以外の分野での発言権を拡大させてきました。
しかしその一方で、平成の30年における日本の経済成長率は実質で1%前後、潜在経済成長率(乱暴な言い方でいえば、将来の経済成長のポテンシャルのことです)は1%を下回る水準で推移してきました。
少なくとも経済系の利益団体は低経済成長の直接的な責任もろくにとらないまま、いまも働き方はいうに及ばず経済以外の分野、政治や教育にまで根拠の乏しい「改革」を要求しています。働き方に関していえば解雇規制の緩和や非正規雇用の拡大、裁量労働性の適用職種拡大です。
いずれにせよ、日本の企業社会は賃上げ(ベースアップ)や最低賃金引き上げなどに対して消極的です。しかしながら、労働関連の法律が総じて政治、行政、労使の交渉を通じて決定されていくことを思うと、企業社会との調整(妥協)が不可欠です。最近の働き方「改革」でも政治と企業社会が圧倒的に優勢で、相当程度企業都合が反映されています。
それほどシビアな要求ではない
ここでの提案、つまり一日8時間から一日6時間に法定労働時間を引き下げながら、それに対して最低時給を約1.3倍程度引き上げは、素朴に考えれば企業にとって必要な人件費の総額はそれほど変わらないはずです。法定労働時間が変わらないまま、単純な賃上げ要求を行えば、人件費の総額が増えるため、企業社会はこれを嫌います。それを踏まえれば、それほどシビアな要求ではないはずです。
もちろんここまで述べてきたのは、あくまで数字を念頭に置いた思考実験であって、現実味を考えるには、もう少し詳細なデータや調整、交渉が必要になるはずです。労働関連のルールの大幅改正は、負担が大きいので敬遠されがちということもあります。
そうはいっても、30年ほど前まで、日本社会は土曜日も働いていたことを考えればできないというわけでもないはずです。明らかに時代の流れは、労働時間の短縮と労働生産性改善を両立させる新しい方法を模索しています。前述したように、職場の合理化なるものは実は労働生産性に即効性や劇的な影響を持たず、また人間が人間であるがゆえに業務効率の短期間における顕著なパフォーマンス改善も難しいでしょう。給料も伸びないなかで、いまより高効率な働き方なるものが可能でしょうか? また人々はそのモチベーションを保てるでしょうか。
市場の影響を受け、また企業社会の反対が根強く、大幅な賃上げが難しく、職場の顕著なパフォーマンス改善が難しい一方で、労働時間は法定労働時間の変更に強く影響を受けます。法改正を行えば、一定期間後、確実に法定労働時間を変更、短縮することができます。このように考えを巡らせてみるとき、法定労働時間の一日6時間、一週30時間化の魅力に気づくと思うのです。