リーマンショックの影響で勤めていた父親の会社が民事再生を申請し、一家全員無職に。絶望のどん底にいた山田智恵さんが立ち直るきかっけになった「嬉しいこと日記」の書き方を紹介します。

※本稿は山田智恵『ミーニング・ノート』(金風舎)の一部を再編集したものです

※写真はイメージです(写真=iStock.com/g-stockstudio)

突然、一家全員無職に

私は大学を卒業して、父が経営していた会社に入れてもらいました。

父は「日本の製造業を強くする」という志のもと、40歳の時に起業し、会社は20年ほど順調に成長していました。私は恵まれたことに、生活の心配もしたこともなく、世間知らずのまま、ヌクヌクとお嬢様生活をさせてもらっていました。

それが、ある日突然ガラガラと音を立てて、人生が変わってしまいました。

2008年にリーマンショックが起きて、会社は民事再生を申請することになったのです。なんとか再生の申請は通り、会社は倒産することなく経営を維持することはできました。

ところが、社内で色んなことが起き、創業者であった父も含めて、私たち家族はクビになり、一家全員無職となってしまったのです。

今でこそ人に話せるようになりましたが、当時はかなり落ち込んでいました。いえ、落ち込むというより、絶望という言葉の方がしっくりきます。

信じていた人たちに裏切られ、心はボロボロに。そして、何より一家全員無職の状態です。いきなり、裸で社会にポーンと投げこまれた感覚でした。