感謝を伝えられなかったことが心残り
ベッドに横たわる母を眺めていると、私も疲れで油断したのでしょう、最期の時を迎えようとしている母を前に暗く沈んだ表情をしていたのだと思います。そんな私に気付いたのか、母が突然「ゆかり、ゆかり、頑張って!」と言葉を発したのです。そして、それが最期の言葉になりました。最期の時まで娘を心配し、励まそうとする母の姿が私の心に深く刻み込まれました。ただ、ガン告知を慎む時代、最期に母に「今までありがとう」と感謝を伝えられなかったことが心残りでなりません。
母は、戦争を生き抜いただけあって忍耐強く、明るく常に前向きな人でした。私にとっては、「母親」というより「職業婦人」でしたから、子どもの頃は母が家にいない寂しさを感じていましたが、大人になって母の生き方を理解できるように。全力で仕事に取り組み、社会活動にも熱心だった母。そんな母を見てきたからこそ、今の私がいるのだと思えます。女性が働くことが当たり前ではなかった時代に第一線で活躍していたのですから、大変な苦労があったのだと思います。でも、母が弱音を吐いたことは1度もありません。
今は女性の社会進出が期待される時代。何かを犠牲にしなければ欲しいものを手に入れられない時代とは考えたくありません。これからは女性が家庭も仕事も社会的交流関係も何事も犠牲にすることなく、人生を謳歌できる世の中にしたいですね。
構成=江藤誌惠 撮影=国府田利光
総務副大臣・内閣府副大臣。1961年、東京都出身。コロンビア大学政治学部卒、同大学院国際関係学科卒、ニューヨーク大学経済学博士課程卒。2005年衆議院議員初当選。10年参議院比例代表当選。14年から大阪11区衆議院議員。中央大学大学院客員教授、経済産業大臣政務官などを歴任。現在、総務副大臣・内閣府副大臣として活躍。自民党衆議院議員。