証券会社の営業担当から専業主婦へ

中村さんのキャリアをたどってみよう。1991年、営業として日興證券(現SMBC日興証券)に入社。しかしその直後、証券会社の損失補塡ほてん問題が発覚する。思い描いていた仕事とは真逆の、営業停止やクレームへの対応に追われる日が続いた。4年間はがんばったものの、「ここでずっとは働き続けられない」と退職を決断。結婚が決まったこともあり、心機一転しようと他社で営業事務の職に就いた。

「最初の出産を機にそこも退職しました。出産したら家庭に入るのが普通だと思っていたし、専業主婦への憧れもあったんです。そのうち2人目も生まれて、しばらくは主婦業に専念していました。自分ではいい経験ができたと思っています。子どもと向き合う楽しさも、家事をきっちりやることの大変さも、身をもって知ることができたので」

そのまま主婦業を続ける道もあっただろうが、2年たった時、転機が訪れた。そろそろ働いてみようかなと派遣社員になったところ、日興證券の同期から「どうせ働くなら戻っておいでよ」と声がかかったのだ。復帰したい気持ちもあったが、子どもたちはまだ2歳と3歳。自分にフルタイムの仕事と育児を両立できるのかどうか、さんざん迷ったという。

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