「一人でやらねば」が招いた大失敗

「結局、両立も経験してみなきゃわからないんだから、やってみてから判断しようと思って営業への復職を決めました。まだ若くて気力も体力もあったので、チャレンジはできるうちにしなきゃもったいないなと」

浦和支店長時代
浦和支店長時代、「浦和祭り」にて。地域貢献しようと支店ぐるみで参加した

この決断がなければ、今のキャリアもなかっただろう。人生に新たな選択肢が現れると現状維持を選ぶ人も少なくないが、中村さんは逆で、変化にワクワクするタイプ。しばらく同じ環境が続くと、新しい場所で自分を試してみたくなるのだそうだ。この時のことも「両立してみて自分はどう思うのか、家族はどう思うのか知りたかった」と振り返る。

32歳で日興證券に復職し、ここから奮闘の日々が続く。2人の子育てと仕事を両立しながら、営業ウーマンとしての手腕を発揮し、ITバブル崩壊を乗り越え、さらには第3子を出産。約半年の産休・育休はとったものの、その後も夫に負担をかけまいと家事育児を一人でこなし、仕事でも周囲に迷惑をかけまいと一生懸命がんばり続けた。

もう少し周囲に甘えてもよかったのかもしれない。両立支援制度がある今と違って、当時の働くママを支えていたのは“周りの好意”。中村さんの職場にも支えてくれる人はいたそうだが、迷惑をかけるのが心苦しく、「一人でやらねば」という思いに駆られていたという。

「家庭と仕事のスケジュールを全部書き出して、やり終えたことから塗りつぶしていく毎日でした。予定をこなすのに必死で気持ちに余裕もなく、子どもを急かしたり、つい当たったりしてしまったことも。仕事を少し人に任せるなどして、時間にも心にもゆとりをつくるよう努力すべきでした」

全部自分でやらなければ、もっと実績を上げなければ……。そんな、がんばり屋ほど陥りがちな考え方は“抱え込み”につながりやすい。中村さんはまさにその通りの道筋をたどり、限界ギリギリまで抱え込んだところで、ある日バッタリと倒れてしまった。

プライベート・バンキング第三部のメンバーたちと
部長を務めるプライベート・バンキング第三部のメンバーたちと

他の人にはわからない仕事を大量に残し、引き継ぎもできないまま即時入院。その後約1カ月半は会社を休むことになった。周囲に迷惑をかけまいと思うあまり、家族から職場、顧客にまでかえって大きな心配と迷惑をかける結果になってしまったのだ。この経験を、中村さんは「人生の中で最大の失敗」と語る。

自分を過信して、一生懸命やれば何とかなると思い込んでいたこと。目先のことに必死で先々の危機管理能力が低かったこと。自分が「完璧にこなせている」と思いたかっただけで、実は自己満足でしか動いていなかったこと──。多くのことを反省し、以降は仕事への取り組み方に“余裕”を残しておくよう心がけるようになったという。