相手の土俵に乗ってはいけない

私は『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)という本を5月に出版しました。そこでいう「呪いの言葉」とは、「相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意を持って発せられる言葉」のことです。

ヒールを履かずに済む仕事はあるでしょうか。確かにあります。だから、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と言われると、返す言葉が見つからないように思いがちです。けれども、「確かにそういう仕事もあるけれど……」と考え込んでしまうと、その時、相手が勝手に設定した思考の枠組みの中で考える方向へと、あなたは無意識のうちに誘導されてしまっているのです。相手が作った土俵に乗せられてしまっているのです。

ちょっと離れた視点から、状況をとらえなおしてみましょう。「ヒールを履かない仕事をすれば?」というのは、アドバイスでしょうか。違いますよね。別にあなたは今の仕事を辞めたいと思っているわけではなくて、靴のせいでつらい思いをせずに働き続けたいだけですよね。靴を自由に選べれば、今の仕事がより快適にできる。それを求めているだけなはずです。

それなのに、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と言葉を返してくる人は、何を言いたいかと言えば、要するに「うるさいな」「文句を言うなよ」と言っているわけです。

「うるさいな」とはっきり言うと、言った側の自分が悪者になってしまう。だから、相手の問題であるかのように、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と問いかけてくるわけです。

呪いの言葉には質問で返す

であれば、その言葉を真に受けて、自分の問題として考え込んではいけません。あなたの訴えや抗議をずらして無効化しようとする相手の側にこそ、問題があるからです。

たとえば、こう問い返してみることを想像してみましょう。「あなたは、職場でヒールやパンプスが強制されることは妥当だと思うのですか」と。そう問い返してみるなら、相手は返答に窮するはずです。「当たり前だろ」とは言えないでしょう。

だから、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と言われたとしても、そういう問いかけは、放っておけばいいのです。実際には上記のように丁寧に言葉を投げ返す必要もなく、なによりもまず、相手の言葉に支配されないように気をつけることこそが重要です。呪いの言葉に抑圧されると、無駄にメンタルを削られます。

「ああ、黙らせたいんですね。でも、黙りませんよ」と思っていればいいのです。ツイッターで踏み込んだ発言をしている私に対しても、そのようなリプライが寄せられることが多々ありますが、自分の心の健康のために、遠慮なくどんどんミュートしています。そして言いたいこと、思ったことは、言葉を選びながらですが、心に押し込めておくのではなく、書くようにしています。