企業はパンプスを義務付ける必要はあるか
「#KuToo」(クートゥー)という運動をご存じでしょうか。セクハラ被害に対して声をあげる「#MeToo」にならって名付けられたもので、「#KuToo 職場でのヒール・パンプスの強制をなくしたい!」というネット上の署名運動を石川優実さんが今年(19年)2月に呼びかけたことに端を発しています。「靴」と「苦痛」がかけられています。
6月3日には石川さんが、集まった署名1万8856筆と要望書を厚生労働省に提出。それを受けて6月5日の衆議院厚生労働委員会では、尾辻かな子議員が根本匠厚生労働大臣に見解を問いました。
パンプスは脱げやすく、外反母趾(がいはんぼし)や腰痛、転倒事故の原因になるとの指摘もあるとしたうえで「企業が労働者に対し、パンプスを義務付ける必要はあると思うか」と尾辻議員が問うたのに対し、根本大臣は、「女性に着用を指示する、義務付ける、これは社会通念に照らして、業務上必要かつ相当な範囲か、と、まあこの辺なんだろうと思います」「当該指示が社会通念に照らして、業務上必要かつ相当な範囲を超えているかどうか、これがポイントだと思います」と、曖昧な答弁に終始しました。当面、ヒールやパンプスの着用の強制を法律で禁止するのは難しそうです。
女性の声が盛り上がってこない理由
企業によっては独自に方針を転換したところも見られます。ドコモショップの女性定員は現在、原則としてヒールのある靴を履くことになっていますが、NTTドコモは、来年(20年)10月をめどに男女ともにスニーカーに統一する方針を決めたことが、報じられました。
「私の会社もヒール・パンプスを履かずに済むようになればいいのに……」と思っている方も多いでしょう。靴のせいで痛い思いや窮屈な思いをせずに済むなら、そのほうが気持ちよく働くことができ、仕事もはかどるはずです。けれども、職場の女性がどんどん声をあげ始めた、という流れにはなっていないようです。なぜでしょうか。
ネットでは声をあげる人が心ないバッシングに遭うということが往々にしてあります。石川さんに対しても、「ヒールを履かない仕事をすれば?」「嫌なら辞めればいい」といった声が多く寄せられたようです。そうした批判や反論が来ることが予想されると、声をあげることに躊躇してしまいがちです。
私はそれらの言葉を「呪いの言葉」と呼んでいます。「嫌なら出ていけ」と同じ種類の、相手を黙らせることだけを目的とした言葉です。つまり、そうした人たちは「声をあげてほしくない」と思っているわけです。
相手の土俵に乗ってはいけない
私は『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)という本を5月に出版しました。そこでいう「呪いの言葉」とは、「相手の思考の枠組みを縛り、相手を心理的な葛藤の中に押し込め、問題のある状況に閉じ込めておくために、悪意を持って発せられる言葉」のことです。
ヒールを履かずに済む仕事はあるでしょうか。確かにあります。だから、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と言われると、返す言葉が見つからないように思いがちです。けれども、「確かにそういう仕事もあるけれど……」と考え込んでしまうと、その時、相手が勝手に設定した思考の枠組みの中で考える方向へと、あなたは無意識のうちに誘導されてしまっているのです。相手が作った土俵に乗せられてしまっているのです。
ちょっと離れた視点から、状況をとらえなおしてみましょう。「ヒールを履かない仕事をすれば?」というのは、アドバイスでしょうか。違いますよね。別にあなたは今の仕事を辞めたいと思っているわけではなくて、靴のせいでつらい思いをせずに働き続けたいだけですよね。靴を自由に選べれば、今の仕事がより快適にできる。それを求めているだけなはずです。
それなのに、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と言葉を返してくる人は、何を言いたいかと言えば、要するに「うるさいな」「文句を言うなよ」と言っているわけです。
「うるさいな」とはっきり言うと、言った側の自分が悪者になってしまう。だから、相手の問題であるかのように、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と問いかけてくるわけです。
呪いの言葉には質問で返す
であれば、その言葉を真に受けて、自分の問題として考え込んではいけません。あなたの訴えや抗議をずらして無効化しようとする相手の側にこそ、問題があるからです。
たとえば、こう問い返してみることを想像してみましょう。「あなたは、職場でヒールやパンプスが強制されることは妥当だと思うのですか」と。そう問い返してみるなら、相手は返答に窮するはずです。「当たり前だろ」とは言えないでしょう。
だから、「ヒールを履かない仕事をすれば?」と言われたとしても、そういう問いかけは、放っておけばいいのです。実際には上記のように丁寧に言葉を投げ返す必要もなく、なによりもまず、相手の言葉に支配されないように気をつけることこそが重要です。呪いの言葉に抑圧されると、無駄にメンタルを削られます。
「ああ、黙らせたいんですね。でも、黙りませんよ」と思っていればいいのです。ツイッターで踏み込んだ発言をしている私に対しても、そのようなリプライが寄せられることが多々ありますが、自分の心の健康のために、遠慮なくどんどんミュートしています。そして言いたいこと、思ったことは、言葉を選びながらですが、心に押し込めておくのではなく、書くようにしています。
黙らず、声をあげ続けること
人の目を気にしすぎると、そうやって黙らせにかかる「呪いの言葉」に囲まれて、身動きができなくなってしまいます。「嫌なら辞めれば」「自分で選んだんでしょ」「かわいくないね」「無責任だな」等々、人は軽々しく、そういった言葉によってこちらの心を抑圧しにかかってきます。「ああ、これは呪いの言葉だな」「ああ、そんなものには支配されないぞ」という心の構えが大切です。
その上で、どうやったら実際に職場で声をあげることができるか、考えてみましょう。あなたはこれまで、学校で、アルバイト先で、職場で、あるいは家族に、異議申し立てをしたことはありますか。状況を変えようと、交渉したことはありますか。「そんなことをしたらにらまれる、孤立する」と考えて、声をあげられなかったかもしれません。
けれども、声をあげていないだけで、もしかするとあなたと同じように感じたり、考えたりしている人がいるかもしれません。
ならばまず、問題意識を同じ職場の人に話してみましょう。共感してもらえなかったら、別の人にも話してみましょう。まずは身近な人に問題意識を話してみること、そして問題意識を共有できる仲間を見つけることが大切です。いきなり上司にかけあっても、「うるさいな」と思われてしまうかもしれませんが、職場の人たちの共通の思いとして、大勢でかけあえば、上司も対応を考えるでしょう。
職場に労働組合があるなら、労働組合に要望を持ち込んでみるのもよいと思います。男性の役員で理解がないかもしれませんが、職場の労働条件の問題なのだと分かってもらいましょう。労働組合を通じて交渉すれば、経営側は交渉のテーブルにつかざるをえなくなります。
“社会通念”は私たちの手で変えていける
ヒールやパンプスは本来、業務に必要なものではありません。根本厚生労働大臣が語ったように「社会通念」として、「身だしなみ」のように考えられているだけです。その社会通念は変えていくことができます。女は結婚したら寿退職するものだとか、女は制服を着て働くものだとか、女はお茶くみ当番をするものだとかの社会通念を、一つひとつ、粘り強く、それぞれの職場で働く女性たちが変えていったように。
『呪いの言葉の解きかた』には、映画やドラマやコミックの中で、黙らずに交渉に乗り出した女性たちが多く登場します。「逃げるは恥だが役に立つ」のみくりと平匡(ひらまさ)の関係も、家事労働をめぐる交渉という視点から読み解いています。言いたいことをのみ込んで我慢するのではなく、交渉して道を開いていった女性たちのストーリーを、自分の心の中に住まわせてみてはいかがでしょう。