ココナッツオイルブームを予感

「子どもに安全な食を提供したいという思いから、お菓子の販売を始めました。マーケットで娘をおんぶしながら、1つ1つ手売りして。それがブラウンシュガーファーストの始まりです。当時、お菓子の原料は、バター、マーガリン、ショートニングばかり。もっと体にいいものがないかと思って探しあてたのが、タイの有機エキストラバージンココナッツオイルだったのです。タイのオイルにたどりつくまで、フィリピンやスリランカなどいろんな国の工場を回りました。工場の衛生チェックも徹底的にやったので、加工場のコンサルタントができそうなほど(笑)」

しかし事はそうそう簡単に運ばなかった。メールで工場に見学アポをとっても返事が全く来ない。業を煮やした荻野さんは「明日行きます!」とだけメールをして、飛行機に乗って現地に飛んだ。向こうは「この人、本当に来た!」と驚いていたそうだが、ここでも荻野さんの猪突猛進の精神の本領発揮といえる。

そこまでするのも、彼女のなかでは勝算があったから。アメリカでは、ミランダ・カーなど、健康志向の高いセレブの間で流行っていたココナッツオイルが、日本でも必ず“来る”と。また、もともとアパレルに携わっていたので、洋服よりも大もとの生地屋さんのほうが強い、そしてお菓子も同様だと実感していた。材料、原料を扱うほうがいろんな商品に加工でき、商売としても面白いと確信したのだ。

原資20万円から7億円の年商に

そのうち大規模な食品展示会に出店。NYのジューススタンドのようなおしゃれなブースにして来場者の目をひき、ココナッツオイルの試食をどんどんすすめたら、たちまち大人気に。こうして、ブラウンシュガーファーストは法人化。原資20万円から始めたが、冒頭のとおり最高で7億円まで売り上げをたたき出したのだ。

その後ココナッツオイルのブームが去って、他社が撤退するなか、荻野さんの会社だけは質を高め続け、値引きもせず、ブランド力を守ってサバイブできた。それでも、2018年の頭は、経営的に苦しかったそう。

「それまでの私は、勢いやノリで突っ走ってきたので、経営者の自覚が足りなかった。辛くて起きたくない朝を何回も乗り越えて、今やっとホンモノの経営者になれたような気がします」

有機エキストラバージンココナッツオイル。食品展示会では、オイルをパンに塗るとおいしいと試食をどんどん進めた。(写真提供=ブラウンシュガーファースト)

お母さんの手作り食がなくなる!?

現在、ブラウンシュガーファーストでは、誰が作ったかある程度追跡可能で、自身の子どもに食べさせたいと思える食材だけを扱っている。荻野さんが常々見つめているのは、将来の食文化や食の流通が、今後どのように変わっていくのかということ。

「私は、アメリカや中国などのアジア地域によく出張に出かけます。その際必ずしているのが、現地にあるスーパーのチェック。気づいたのは、食材の棚がどんどん減っていって、Ready to Eat(すぐに食べられる)の食品や冷凍食品類がグンと増えているという点。そのうち、お母さんの手作りの食事がほとんどなくなっていくのではないかと察知していました。さらにアメリカ・ラスベガスでのCES(家電見本市)のフードテックの領域を見学したら、3Dプリンターで作るイチゴとか、肝細胞を培養して作った牛肉もあったのです。私には小学校低学年の娘がいますが、彼女が大人になって子どもを持つころ、そういった食べ物が主流になるかもしれないし、これさえ飲んでおけばOKというドリンクやサプリだらけになってしまうのかもしれない。このようなテクノロジーの進化も理解しますし、否定しませんが、同時に危機感も感じています」