女子教育に力を注いできた父

パキスタンでは、マララさんの故郷も含めて広い地域で今なお家父長制の因習が根強く残り、女性は従属的な立場に置かれている。そのような環境において、なぜ彼女は幼い頃から強い意志をもち、勇敢な行動をとり続けることができたのだろうか? それは、父のジアウディンさんがきわめて開明的であり、正義のために行動する人であったことが大きい。祖国で学校をつくり、自らも教鞭をとりながら経営に奔走していたジアウディンさん。その学校は、すべての人に対して開かれたもので、女子教育にも力を注いでいた。

マララさんの父、ジアウディンさん

現在は「マララ財団」の共同設立者・理事として、安全で質の高い教育をすべての女子が受けられる社会の実現を目指して活動を続ける。

「私は家族を大事にする人間であり、妻と私は対等なパートナーです。そして、娘のおかげで世に知られる存在になった数少ない父親のひとりであり、そのことを誇りに思います」

マララさんとともに来日し、分科会のパネルディスカッション「家族の未来」に参加したジアウディンさんは、そう自己紹介した。

家父長制を厳格に守る家庭で育ち、父が母のために何かをしてあげるところなど、一度も見たことがないという。鶏肉のおいしい部位や卵は、父と兄、自分だけが食べることができた。「姉や妹たちが経験したもっともひどい差別は、学校に行けなかったことです」と話す。女性は、男性親族の同伴なしで外出することも許されておらず、母を病院に連れて行くと、処方せんには「ジアウディンの母」と書いてあった。「名前という、母のもっとも基本的なアイデンティティさえも、消されてしまったかのようでした」

父がマララさんの服にアイロンをかけることも

結婚相手を自由に選ぶことのできない村で、ジアウディンさんは好きな相手と結ばれた。「結婚後、妻に真っ先に伝えたのは、『自分で手を洗うから、君がやらなくていい』です」。村には古くから、妻が食前に夫の手を水で清めるという習慣があったからだ。だが、高等教育を受けたおかげで、自分は新しいタイプの夫であり父親になれたのだと、ジアウディンさんは言う。妻にはなんでも話し、相談する。家事も手伝う。「マララの服にアイロンをかけたりもしていました」。そして娘に対しては、けっして夢をあきらめないようにと言い聞かせ、応援し、その自由を守り続けた。

家族はもっとも基本的な集団であり、人々はここで社会の規範を学び、政治的な思想を育む。そして、家族の集まりによって国が構成されている。だからこそ、家庭での男女平等が保たれなければならない――。ジアウディンさんは、そう強調する。「みんなでまとまったり、家事を分担したりすることは、家庭生活にこのうえない幸せをもたらすので、どの家族もそうあるべきです」。このことは、女性のためだけではなく、男性の意識を変えるためにも必要であると、ジアウディンさんは訴える。

「人口の半分を占める女性たちのちからを信じていないのなら、その国は片方の翼で飛んでいるようなものです。でも、鳥はひとつの翼では飛べない。ふたつの翼が必要なのです」