昭和的思考からの脱却を
女性の総合職・一般職採用が始まったとはいえ、職場での女性の位置づけは、まだまだお茶くみ&雑用係とされ、入社したては「○○ちゃん」とかわいがられ、長く勤めると「お局さま」と煙たがられた。
「MR採用3期生ですが、周りの男性営業マンや取引先の医師は、女性MRとの付き合い方がわからず戸惑っていました。彼らにとって、女性は宇宙人のようなもの。『何でここに来たの? 腰掛け?』と真顔で質問されました(笑)。MRとして医局を訪問した際も、当然のように私がお茶係。他メーカーの男性社員がいる席でもそう。『女性だから当たり前』という雰囲気なんですね。それに疑問を感じたこともありませんでした。でも、ある女医さんに『それは女性の仕事じゃなくて、若い子の仕事でしょ』と声を掛けられ、ハッとしました」(西山さん)
法整備が進んでも、まだまだ人々の意識は昭和のまま。女性も恋愛至上主義で、人気テレビドラマのような人生を手本にする女性も多かった。平成初期は、企業の受け入れ体制よりも何よりも、人々の意識改革が必要な時代だったのだ。
「88年に社内の労働組合中央執行委員に任命されてから、育児休業制度の導入を会社に要求したのですが、『それは女性のわがままだよ』と一蹴されてしまいました。とても悔しかった。でも、それが現実。その後、女性の声を集め、少しずつ根回しをし、育児休業法制定の2年前に制度を導入。利用者第1号となった女性は『育児休業できるなら、仕事を辞める理由がないよね』と。その後、結婚退職はもちろん、子どもができても仕事を辞める女性は少なくなりました」(芳野さん)
92年、それまで多数派だった専業主婦世帯数と共働き世帯数が逆転。この頃の女性の平均初婚年齢は25.9歳(90年/厚労省調べ)。25歳をすぎた未婚女性は“売れ残りのクリスマスケーキ”と呼ばれたが、経済的に自立し、人生を楽しむ女性は確実に増えており、同年、高齢出産の定義が30歳以上から35歳以上の初産婦に引き上げられるなど、理想と現実のギャップに人々が気づき始めた。
「50代以上の男性社員の妻は専業主婦が多いのですが、40代以下では共働きが多数派になり、子育て応援セミナーを開催すると30代男性が多く参加するように。時代の移り変わりを感じます」(梅田さん)