※本稿は、ティムラズ・レジャバ『日本再発見』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
日本企業は閉鎖的だが、そこでこそ日本人は底力を発揮
「お祭り」のあり方が、日本人の仕事観にも通じる気がします。
お祭りは、外の世界から来た外国人はなかなか簡単には入っていけない領域だと思います。ある意味、閉鎖的なのです。それは、歴史と宗教にもつながっているし、地域の絆によって構成されているからです。だからこそ、とても敷居が高い文化のひとつです。もちろん、見るのは簡単であり誰でもできますが、実際に参加するとなると、そう簡単にはいかないでしょう。
そのとき垣間見える日本人の精神こそ、仕事の中で発揮されている日本人の底力のようなものではないでしょうか。お祭りでも仕事でも、大きな目的を集団で達成するイメージを日本人はみんな思い描けているように映ります。そうなると、職場という家族同然のメンバーで、何か目的を決めれば、あとはみんな課せられた仕事を力を合わせて猪突猛進にこなすだけで、100%以上の力が出ているのです。
そういえば、日本は体操の団体戦が異様に強いです。これは、チームの他のメンバーに迷惑をかけまいと、それぞれが最大限の力を発揮するからだと聞いたことがあります。
同僚や上司は優しいが、やりたいことは会社員ではなかった
今思うに、私がキッコーマンにうまく馴染めなかったのは、会社側の問題というより、私側の問題が大きいかもしれません。なかなか仕事で成果を挙げられない私に対して周囲の人たちは非常によくしてくれましたし、「おまえもキッコーマンの一員だ」と認めてくれた方は、仲間として隔たりなく付き合ってくれました。私は自分で言うのもなんですが、人には好かれるタイプで、決して心を閉ざしていたとか、まわりに攻撃的な態度を取っていたとか、そういうわけではありません。しかしそれでも、会社コミュニティの一員にはどうしてもなれなかったのです。
それはなぜか。祖国ジョージアのために何かやらなければならない、という思いを捨てられなかったからです。「自分の理想や思いは、それはそれ。目の前の仕事は目の前の仕事」と割り切って目の前の仕事に取り組むことは、私にはできませんでした。私は「仕事のための仕事」をこなすより、何かはっきりと目標を実現するための仕事でないと、納得がいかないタイプなのです。