1986年の男女雇用機会均等法施行をきっかけに、女性活躍が謳われ続けた平成の時代。新し時代が始まるのを目前に、その30年間を一気に振り返る「図解年表」にまとめました。

平成「日本の女性活躍」30年史

平成が始まった1989年からの30年間、ずっと「女性の時代」と繰り返し謳われてきた。確かに今、女性を取り巻く環境は平成元年から比べて大きく変化した。しかし、これは男性中心につくられた社会の中で、多くの女性が闘ってきた結果にほかならない。この30年間の変遷を先駆者3人のキャリアから見てみよう。

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「私は86年に就職活動をしていた、まさしく男女雇用機会均等法(以下、均等法)第1世代。それまで、女性は短大出身でないと就職が不利といわれていましたが、この頃から四年制大学に女性向けの求人が多く来るようになり、法整備の効果を感じました。でも、同じ文系でも男性は6月頃に内定をもらっているのに、私は一向に決まらず焦りました。それで、コンピュータが何なのかよくわかりもしないまま日本IBMの専門職採用試験を受けるも撃沈。でも当時、就職に有利といわれていた秘書検定2級を持っていたので、秘書職として採用されました」(梅田恵さん)

平成初期にはカジテツ女子

国連で採択された女子差別撤廃条約(85年批准)を受けて誕生した均等法(86年施行)。国際世論に押されての法整備とはいえ、これをきっかけに女性登用の受け皿が徐々につくられていった。この頃、女性の就職は結婚までの腰掛け、嫁入り前の箔(はく)づけと見られ、実際に有名大学を卒業しても、職業“カジテツ(家事手伝い)”、花嫁修業中という女性も少なくなかった。しかしその一方で、バブル経済を背景に、アッシー君、ミツグ君を従え、「いけいけドンドン」、仕事も遊びもとことん楽しむ女性や、海外旅行ブームの先に起こったOLの留学ブームで海外のジェンダーレスな社会を目の当たりにし、キャリアに目覚める女性も現れるようになっていた。