男性に悪気があったわけじゃない

「薬科大学卒業後、薬剤師や研究職ではなく、外を回る仕事がしたくてMR(医薬情報担当者/当時はプロパー)をめざし、製薬メーカーへの就職を希望。でも、就職活動を始めると、製薬メーカーの女性MR採用枠が極端に少ないことを知って愕然(がくぜん)。しかもほとんどが外資系で、国内企業では大塚製薬と数社のみ。同社は、それまで新卒女性数人しか採用していなかったのですが、90年当時の社長が女性活用を謳い、20人の大量採用をした年でした」(西山和枝さん)

平成初頭は、バブル経済の終焉(しゅうえん)を前に日本経済全盛期。日本企業で働くことこそステイタスだった。当時の外資系企業日本支社の施設設備は小規模で、外資系に就職することは“負け組”を意味していた。だが、外資系の代表格、日本IBMに関していえば、37年の日本法人創業時から技術専門職で女性採用を行い、60年代後半から四大卒女性を本格採用していたため、95年にいち早く女性役員を生み出すことができたのだ。

「もともと日本IBMは、コンピュータが一般的でなかった時代、優秀な男性社員の獲得が難しかったため、ジェンダーフリーで社員を募集してきました。米国では30年代から、日本では60年代から一貫して、性別・国籍・障害の有無にかかわらず同一職種・同一賃金。おかげで、多少女性差別してくれてもいいのにと思うほど、男性と同等に猛烈に働くことができました(笑)」(梅田さん)

それは外資系ならではの良さで、日本企業ではそうはいかなかった。

「84年にJUKI入社。当時の男性は、女性の幸せは結婚と育児だと純粋に信じていました。それが差別だなんて思っていませんし、その気持ちに悪気はないんです。それは男性だけでなく、女性の意識もそう。私自身、結婚退職が当たり前だと思っていたし、私もそれを前提に入社しましたから」(芳野友子さん)