芸能界でも政治の世界でも、生かされた両親の教え
私が芸能界に入ったのは、歌手・黛(まゆずみ)ジュン主演映画の相手役募集のオーディションを受けたのがきっかけ。このオーディションのときも、「君の元気さがいい。いちばん声にハリがあっていい。君こそ、松竹が望んでいた男だ!」と言われて合格したんです。またもや私の“いいところ”が認められたんですね。でも、オーディションを受けたのは芸能人になりたかったからではなく、優勝賞金の50万円が欲しかったから。当時、大学受験に失敗して浪人していて、ある晩ふと目を覚ますと、母がまだ起きているんです。何をしているのかと思ったら、ラジオの部品をつくる内職でした。それを見て、これ以上苦労を掛けちゃいけないと。高卒の給料が約2万円の時代ですから、50万円は大金です。おかげで、優勝賞金を手にし、2度目の挑戦で大学に合格できました。
そのときは、長く俳優業を続けるつもりはなかったのですが、ある日サンミュージックプロダクション初代社長の相さん(相澤秀禎氏/2013年没)に、「何かうまいものを食おう、何が食べたい?」と聞かれ、「ハンバーグが食べたい」と答えると、ハンバーグの有名店に連れて行ってくれました。すると、相さんに「芸能界に入ったら、うまいものが毎日食べられるんだぞ」と説得されて、今の自分があるんですね。そこで食べたハンバーグはすごくおいしくて、自分が今まで食べてきたものと色も形もまったく違う。そのとき初めて、母にハンバーグだと言われて食べていたのが、実は“メンチカツ”だったことが判明。母が芸能界入りのきっかけになったと言えなくもないですね(笑)。
その後、芸能界で「青春」をキーワードに走り続けるのですが、年齢を重ねていくと徐々に「いい年をして何してるんだ」という目で見られるようになってきたんです。だからといって、人の真似をしても自分らしさは出せません。その後も「青春だ!」と走り続けていたら、「森田健作=青春の巨匠」と言われるように。無理をするより、自分の持ち味を生かすほうが大切。それこそ母の教えですよ。私が政治の世界に身を投じたのも、今までお世話になった「青春」に恩返しをしようと思ってのこと。母は、芸能界入りのときと同様に、「おまえの人生なんだから、好きにしなさい。体だけはいといなさいよ」と背中を押してくれました。
父は07年に98歳で、母は17年、同じく98歳で亡くなりました。母が亡くなったのは、千葉県知事3期目の選挙告示日の前日。私の当選を知らずに旅立ったので、母の棺に当選を報じた新聞を納めました。人生、何がきっかけでどう転ぶかわからない。私の人生においては、あの夏の日、母が私に掛けてくれたあの言葉がなければ、今の私はいなかったということだけは確かです。
千葉県知事
1949年生まれ、東京都出身。20歳のとき、松竹映画『夕月』でデビュー。22歳でドラマ「おれは男だ!」が大ヒットし、一躍人気スターに。その後、43歳で政治の世界へ。参議院議員、衆議院議員を経て、60歳で千葉県知事に。現在3期目。
構成=江藤誌惠 撮影=国府田利光