挨拶の大切さを教えてくれた父と母

母・ぬい子は、埼玉県出身で大正7(1918)年生まれ、父・亀男は福島県出身の明治42(1909)年生まれ。父は警視庁の刑事だったので、ほとんど家にいませんでした。しかも、台風が来るなど大変なときに限って家にいませんから、その間、家を守ってきたのは母です。時々、知らないおじさんがやってきては世間話をしていくんですが、誰かと思いきや、父が捕まえた泥棒が刑期を終えて、挨拶に来たとのこと。それを母は快くもてなしていました。だから、家族でどこかに出かけるなんてことはまったくなく、休み明けに友人たちから「どこに行った?」と聞かれるのがすごくイヤでしたね。それを母に言うと、「何を言ってるんだい。お父さんが守ってくれているからこそ、おまえの友だちは安心して遊んでいられるんだよ」と。そう言われると「そうか、そうだよなぁ」と釈然としませんが、納得せざるを得ませんでしたね。

森田氏5歳(前列左から2人目)、七五三の家族写真。「もともと5人兄弟でしたが、長兄が4歳で病没。私も幼いころは病弱だったので、母は心配で仕方がなかったようです」。

父が刑事だったので、厳格な家庭だと思われることもありますが、そういう雰囲気はまったくなく、明治・大正生まれの夫婦ですから、頑固な一面もありましたが、子どもたちを押さえ付けることはありませんでした。ただ、両親からいつも言われていたのは、「大きい声で挨拶しろ」ということ。「おはよう」「こんにちは」は、大きな声ではきはきと。感謝の気持ちはちゃんと声を出して言わないと伝わらないのだと、よく言われていました。父も母も普段からよく「ありがとう」を口にする人でした。昔は、“言わなくてもわかるだろう”という人も多かったと思うんですが、2人は違いましたね。だから、私も学生時代から「先手必勝」をもじって、「先礼必勝」を掲げているんですよ。学校では教室に入ってまず大きな声で挨拶をする。県知事になった今も、人から挨拶される前に自分から挨拶をする。これってどの世界で生きていても、自分のためになる行動なんですね。それが両親から教わったいちばんのことです。