3人のきょうだい全員が芸術家となった千住家。ただし、バイオリニスト千住真理子さんは、「千住家で一番芸術的感性が優れているのは母だ」といいます。「私とは正反対の生き方」という母親との思い出を振り返ります――。

※本稿は「プレジデントウーマン」(2017年12月号)の記事を再編集したものです。

(左)バイオリニスト 千住真理子さん(右)自宅前で両親と一緒に記念撮影。母・文子さんと父・鎮雄さんはとても仲が良く、文子さんは鎮雄さんを心から尊敬しており、鎮雄さんの意見には従順だった。

母と一緒に練習することが、楽しくて仕方なかった

母は死ぬまで「時代が時代なら手に職をつけて働きたかった」と言っていました。子どもの頃の夢は文筆家になること。でも、戦争に翻弄(ほんろう)され、やりたいことを思うようにできなかったんですね。だから、子どもに夢を託したんじゃないでしょうか。夢を託すといっても、「こうしなさい」と強いるのではなく、子どもの才能を見極め、とことん伸ばしてくれたんです。導き方がとても上手なんですね。

家族の中で、最初にバイオリンを始めたのは2人の兄。それに影響されて私もバイオリンを始めたのですが、私も兄たちも母に「練習しなさい」と言われたことは1度もありません。兄たちは大きくなるにつれて、ドラムやギターなどに興味を移してバイオリンをやめてしまいましたが、続けるにしてもやめるにしても、常に子どもの気持ちを尊重してくれました。私は、バイオリンが楽しくて仕方がなかったし、なんといっても母との練習が楽しかったからバイオリンをやめる気はまったくありませんでした。

母はバイオリンを弾けないし、音楽を学んだこともないのですが、「モーツァルトのフレーズはこうだ」「バッハのイメージはこう」と、歌ったり踊ったりして、体全体で曲のイメージを表現する、ユニークでアイディアあふれる方法でバイオリンの練習を一緒にしてくれたんです。その様子が滑稽でおかしくて、笑い転げて練習にならないほど(笑)。バイオリンが好きだったし、母との練習がとても楽しかったから、私はどんどんバイオリンにのめり込んでいきました。

母は子ども3人と遊ぶときもそう。母というより、3人のリーダーのようでした。いえ、リーダーというよりガキ大将。「お母ちゃまについていけば、何か楽しいことがあるぞ!」とワクワクしていました。母と過ごす時間はいつもそんなふうで、今思えば、母は結婚前からYMCA(キリスト教精神に基づき、青年の教育・福祉を担うボランティア団体)のリーダーをしていたので、その経験ゆえかも。子どもたちをまとめるのがとても上手でしたからね。私もYMCAに参加していたので、何人ものリーダーを見てきましたが、母のリーダーシップはピカイチ。きょうだいげんかの仲裁も上手で、「誰か1人がよくてもダメ。誰か1人が成功しても皆の成功じゃない」と、公平に言い聞かせていましたからね。