母の才能にジェラシーを感じ、反発した思春期

でも、私は年頃になると母に強く反発するようになりました。私には私なりの思いがあって、母には母の理想がある……。10代後半は母との関係がとてもギクシャクしていました。母にとっては、私が自分の手から離れていく寂しさもあったんでしょうね。

ただ、今思うと思春期の反発心というだけでなく、母の才能へのジェラシーも多分にあったんだと思います。私が何か曲を弾いていて、いま一歩その曲の奥深い部分に到達できずに悩んでいると、母がヒントを出してくれるんです。深く考えたうえでのヒントではなく、ただのひらめきなんですが、これが核心をついているんです。後で「こう言ったよね?」と聞き返しても、「あら、私、そんなこと言ったかしら」と覚えていないんです。

「バイオリンを思うように弾けず、もがき苦しんでいたとき、オランダ旅行のお土産として母からもらった木靴。母は何でもお見通しなんだと、メッセージを読んで胸が熱くなりましたし、これががんばるきっかけに」

学んで培ったものではなく、母の感性は天性のもの。母の鋭い感性を感じているのは私だけではありません。日本画家の長兄の絵を見てサラリと感想を言うのですが、長兄にしてみたら「それを言われてしまったか」と、ギクッとするようなことを口にするんです。作曲家の次兄の曲を聴いたときも、精神的な部分をズバリと指摘したり……。母は、葉っぱが一枚落ちただけで何かを感じることができる人なんですね。

でも、芸術家ならその感性がなければ本物の芸術家とはいえません。どこでその感性を身につけたのか不思議でならないのですが、もう母の血の中にあるものと認めるしかありませんでした。千住家の三きょうだいは全員芸術の道に進みましたが、千住家で一番芸術的感性が優れているのは母だと、兄たちと常々話しています。

私は母と正反対の生き方。手に職を持ち、ひたすら技を磨いている。一方、母は結婚でキャリアを中断し、専業主婦として3人の子どもを育て上げました。私は女性が仕事をすることが特別なことだとは思いません。母は専業主婦という仕事を立派に成し遂げました。

仕事をしていてもいなくても、皆、それぞれの立場で人生をかけた仕事を必死に行っているんだと思います。自分がやっていることに誇りを持って、必死に取り組む。それこそが自分を磨くことになるのだと思います。

千住真理子(せんじゅまりこ)
1962年、東京都出身。2歳半からバイオリンを始め、11歳で全日本学生音楽コンクール小学生の部優勝。12歳でプロデビュー。15歳で日本音楽コンクールに最年少優勝。以後、ソリストとして第一線で活躍中。『ヴァイオリニストは音になる』(時事通信社)など著書多数。

構成=江藤誌惠 写真=国府田利光