眠れない夜の、その理由

――サービス面では、サラリーマン時代からのポリシー貫いている両角さんですが、経営者となった今、サラリーマン時代とは大きく変わったことがあると言います。

お客さまによく言われるのが、「顔が変わりましたね」ってことです。金融機関に勤めていたときは、すごく怖い顔をしていたんです。僕には商売用の笑顔というのがあって、それが染みついてしまい、いつの間にか基本が笑顔になってしまった。昔の僕を知っている人は意外みたいで、「楽しそうだね」と言ってくれます。

事実、楽しいんですよ。上司がいなくなることの解放感ってすごいことでしょ。サラリーマンのストレスって、上司が半分以上じゃないですか。そのかわり、プレッシャーは100倍です。ずっと仕事のことを考えています。サラリーマン時代は会社を出た瞬間、仕事のことは忘れていました。猛烈なワーカホリックでしたが、切り替えはできていましたし、仕事のことで寝られないことはほとんどなかった。

経営者になってからは、ときどき眠れないことがあります。売り上げが上がらないからではなく、スタッフの問題です。お客さまを失ったときは、まだあきらめがつくんです。こっちが悪かったのだからしかたない、同じ失敗は二度とないようにしよう、そしてまた新しい常連さまをつくるぞ、と。でも、スタッフの場合は割り切れない。人の問題では、この間つらい思いをしました。

開業を決めたとき、僕が常連として通っている店のシェフやオーナーさんから、「君はお客でいたほうがいい」と止められたんです。「飲食の世界は、両角さんが会ったことない人の巣窟だから、難しいよ」とまでおっしゃる。実際、現場に立ってみて、忠告の意味がよくわかりました。

スタッフの入れ替え時期に、ふだん任せていた掃除をしていると、いろんなところから"負の遺産"が出てくる。割れた食器が奥にしまわれている、とかね。「ごめんなさい」や「ありがとう」が言えない人というのは、僕の生きてきた世界にはいなかった。

2号店を出せない、本当の理由

スタッフとは、話が通じないことが本当に多かったんです。僕が考えていることが、ことごとく伝わらない。いや、表向きはかみ合っているのだけど、真実とか背景は伝わっていない。そもそもお互いの持っている基準値や価値観が違うからです。僕は、要求水準が高く、進歩を求めてしまう。そうすると、彼らもつらくなるんですよ。

入社3年後にフランス研修、独立支援、レストラン視察なんていうインセンティブも考えていました。でも、彼らにするとフランスに行くなんて面倒なだけ。それが何に対する報酬なのか、そこで何を得て欲しいのかも本当のところは理解はしてくれない。

行きついた答えは、学生のバイトさんでした。それもお客さまのご子息たち。優秀な学生は、1を言えば10わかってくれる。彼らは、家庭教師をやれば時給3000円、4000円をもらえる。でも、時給1000円で皿洗いをする。それは、ここで学べるものがある、この世界を楽しみたいと思っているからなんです。

だからやる気が違う。今は僕とシェフ1人、バイトだけでやっていて、バイトも皿洗いだけでなく、いろんな仕事をしなければならない。「それが楽しい」「やりがいがある」と言うんですよ。僕が求めるレベルは、彼らにとっては屁でもない。何の指示をしなくても、僕の後ろにスッとついて、どういうふうに料理の説明をしているか、プレゼンしているかを学ぼうとする。自ら吸収しようという意欲があるんです。

教えなくても、できる人はできる。教えても、できない人はできない。そもそも意欲が違う。人の意欲を育てるなんてムリかもしれない。志の高い「社員行動規範」を作ったのですが、空回りです。結局のところ、僕がいなければ、この店が成り立たない。だから、店を増やせないんですよ。これは僕の最大の失敗でした。