風邪は「患う」ではなく「引く」もの

 東洋医学によると、人は季節によって気候の変化の影響を受けます。その変化を風(ふう)、寒(かん)、暑(しょ)、湿(しつ)、燥(そう)、火(か)からなる六気(ろっき)と呼びます。この六気が体に悪影響を及ぼすほどになると、六淫(りくいん)と言って、風邪(ふうじゃ)、寒邪、暑邪、湿邪、燥邪、火邪(または熱邪)の邪気に変化し、さまざまな病気の原因になると考えられてきました。

お気づきの通り、この六淫の一つの風邪(ふうじゃ)が風邪(かぜ)の原型です。そもそも肺炎や糖尿病など病気は患うものなのに、風邪だけは患いません。風邪は「引く」ものです。東洋医学的に考えると、風邪は病気ではなく邪気ですから、患うのではなく、体内に引き込む、転じて「風邪を引く」と言うようになったと考えられます。病気でないからといって甘くみていると冒頭の社長さんのように、大変な目にあうことになります。

現代のように病気の原因が科学的に解明される以前は、風邪は万病のもとと考えられていました。風疹、痛風、破傷風など現代でも「風」の字を使う病名がありますし、東洋医学においては、風毒(リュウマチ)、風痘(水疱瘡)、馬痺風(ジフテリア)、風痢(赤痢)、食迷風(むかつき)、腎嚢風(陰部湿疹)、卒中風(脳溢血)などさまざまな病状に「風」の字を当て、風邪(ふうじゃ)がそれらの原因であると考えられてきました。極めつけは、油風といって脱毛症まで風邪のせいとされ、もう万病どころではありません。

風邪が邪気であった時代、人々はどのように風邪と付き合ってきたのでしょうか。健康な状態と、病気を患った状態とに二分する西洋医学に対して、東洋医学では、健康と病気の間に、「未病」という状態が存在します。西洋医学を対症療法、東洋医学を予防医学と分類されることがあるように、医療技術が未熟であった時代においては、体調のバランスが崩れてきた状態を未病として、未病が悪化して病気になる前に健康な状態に戻すことが重要として東洋医学は発達を遂げました。

「馬鹿は風邪を引かない」の本当の意味

未病から快復するためには、まずは休養。そして、薬膳などで知られる食養生が続きます。古代中国の周王朝(紀元前1050年~771年)では、王朝の制度を紹介する文献として『周礼』が著されました。この周礼によれば医師には4つの階級があり、筆頭から食医、疾医(内科医)、瘍医(外科医)、獣医とされ、国王の食事の管理を行う医師がトップランクとされていました。いかに病を怖れ、休養や食事によって未病と対峙することに関心が高かったかがうかがえます。

そうした東洋医学の歴史を背景に生み出された言葉が「馬鹿は風邪を引かない」なのです。一方で、「夏風邪は馬鹿が引く」という言い回しもあります。風邪を引かないはずの馬鹿が、夏になると風邪を引くというのも奇妙な話です。

「基本的に馬鹿は風邪を引かないけれども、夏のように暑い季節に風邪を引くのは馬鹿だけだ」と解釈されている方もおられますが、それは誤りです。ここでいう馬鹿とは、いったいどんなところが馬鹿なのでしょうか。これには未病と関係があります。

東洋医学の世界では恐ろしい病気を患う前に、その予兆に気づき、自重することで健康を取り戻すための概念として未病がありました。未病のサインが現れているのにそれを無視して、あるいは無理を重ねて、病気へと至ってしまう人のことを「未病を見逃して、風邪を引いてしまったのに、本人はまるで気づいていない」という意味を込めて、揶揄したのが「馬鹿は風邪を引かない」の意味合いです。さらに、冬に引いた風邪を夏になるまで放置するのも愚行であるために、「夏風邪は馬鹿が引く」ことになるわけです。