1990年頃から野球ファンが自然に集まった
ラガーさんをはじめとする「8号門クラブ」はどうなったのか。その前に、グループの概要を紹介しよう。
ラガーさんの本名は「善養寺隆一((ぜんようじ・りゅういち)」。これまでに『甲子園のラガーさん』『ラガーさんの嗚呼、青春の甲子園あるある』(いずれもオークラ出版)、『〔大甲子園〕摂氏45℃の激闘』(ぱる出版)という3冊の著書がある。
著書の略歴には、「1966年8月13日、東京都豊島区生まれ、48歳。都立文京高校に進学。父が起業した『あかぎ印刷』に18歳のときに就職」とある。
ラガーさんが、春の選抜、夏の選手権大会の全試合をネット裏最前列で観戦するようになったのは1999年から。「8号門クラブ」は、それ以前に自然発生的に結成されたものらしい。著書には、グループの始まりは1990年頃で、下は大学生から、上は70代までいて、メンバー数は約100名、とある。いずれも筋金入りの野球好きだ。
「住んでいる所や、仕事はバラバラですが、甲子園の季節になるとここに集まる。期間限定のファミリーのような関係です。(中略)観戦マナーはもちろん、『8号門前では、持ち場を2時間以上離れてはいけない』という暗黙のルールがある」(『甲子園のラガーさん』)
ラガーさんの“指定席”は「A段73番」だった
前述したように、甲子園大会は全席自由席なので、座席は早いもの勝ちだ。グループは、大会期間中、誰よりもはやく「8号門」の入り口前に陣取り、徹夜で開門を待ち、開門すると小走りで近付いて席を確保する。著書によれば、ラガーさんの“指定席”は「A段73番」だという。
最後の試合を9回裏まで見届けたあと、グループは勝利校の校歌を聞き終えるやいなや、小走りに退場する。向かう先は8号門。ラガーさんたちが試合後に、客席をすり抜けながら8号門に向かう姿は、たびたび甲子園に足を運んでいるファンには、おなじみの光景だという。