ディスコから貧民街へと足を踏み入れ
キューバ入りして9日目、私は中部の街、カマグウェイに着いた。コロニアル様式の美しい民家に宿をとってから、裏の通りに簡素なカフェを見つけ、カウンター席に座った。キューバでは、外国人用の通貨と施設とは別に、地元人向けのそれらとが分けられていて、当時で24倍の価格差があった。私が入ったカフェは地元人向けのものだったらしく、支払いは地元通貨のペソ・クバーノ。店員のスペイン語が理解できずに戸惑っていると、近くの席にいた若者が、カタコトの英語で助け舟を出してくれた。20代の半ばくらいだろうか、清潔な身なりにオシャレ眼鏡をかけたアフリカ系キューバ人の彼は、朗らかに言った。
「食事が終わったら、街を案内するよ」
こんなふうにして私たちは知り合い、数日間を共に過ごすこととなった。彼は午前中だけ食堂で働き、午後になると私を宿まで迎えにきて、街のアートスポットを案内して回り、夕方には一旦家に帰っていく。そして夜になって再び現れたときには、すっかり衣装替えをして、イケイケボーイに変身しているのだった。
ある晩、彼はシワ一つない白シャツに、シミ一つない真っ白なズボン姿で現れると、私をディスコに誘った。開始時間よりずっと早く入店した私たちは、その夜のDJに挨拶し、それから彼のディスコ仲間数人とテーブルを囲んだ。彼らはみんなイケメンで、人懐っこくて面倒見がよく、キレッキレのおしゃれをしていた。美女の宝庫はエチオピア。では、美男の宝庫は?
「キューバに乾杯!」
運ばれてきたビール瓶が、あっという間に空になり、続けざまに私たちは、隠し持っていたラム酒の栓を開けた。ショットグラスで1杯、2杯……。空腹のせいかアルコールの回りが早く、このペースでは危険だとわかっているのに、速いピッチを抑えられない。3杯、4杯、5杯……。3週間を予定してやってきたキューバ旅行も折り返しを迎え、私はちょっと緩みたかったのかもしれない。カフェも音楽も人々も、もちろん魅力にあふれていたし、十分に楽しませてもくれていた。ただ、一人旅の緊張感や、言葉が通じないことへのストレス、キューバ人のようには踊れない疎外感のようなものが、自分でも気づかないうちに少しずつ積み重なっていた。
私は、たがが外れたように飲んだ。6杯、7杯、どれだけ飲んだかも覚えていないが、それ以外のことについても何一つ覚えていなかった。気がついたときには、テーブルに突っ伏したまま爆睡していて、顔を上げると男の子たちの姿が消えていた。どこに行っちゃったのだろう?