人数が多くとも、ポジションが離れていても、一人ひとりの仕事を認めることはできる。貴重な教訓を得て河本さんは29歳のとき、成田へと旅立つ。そこでの仕事はとても新鮮だった。国際線そのものがゼロからのスタートだったので、自分たちでサービスをつくりあげる面白みがあったからだ。

経営理念などが記された「ANA Book」とレターセット。お客さまへのお礼などをよく書くため、ポストカードや便せんと記念切手は常備している。

当初、香港を拠点とするキャセイパシフィック航空の指導を受けていたため、そのサービスが基盤になったが、中には日本人にそぐわないものもあった。

たとえばナッツを少しいって出すウオームナッツサービス。アメリカではカクテルと一緒につまむので一般的だが、日本人には馴染まないのでやめることにした。チーズも日本人客はあまり口にしなかったが、こちらはグローバルなエアラインを目指すため、自分たちもチーズのことを学んでお客さまにうまく勧めようと決めた。

「客室、スタッフという組織の壁も、入社年次の壁も越えて、みんなで国際線のサービスを考える雰囲気がありました」

部下に対してやってはいけないこと

仕事に充実感が増す中、30歳で班長になり、10人ほどの部下を持つことになる。その班長時代に、ちょっとした苦い経験をする。

「フライト中、ある部下と隣り合って座ったとき、こう話しかけられたんです。『河本さん、言っていいですか。河本さんはいつも私と○○さんを比較して注意をされる。それがつらいんです。私は私なりに頑張っているのに、どうしてそれを見てくれないんですか』」

その言葉が河本さんの心に突き刺さった。成田に来るときに、一人ひとりを見守る大切さを学んだはずだったのに、機内では知らず知らずのうちに部下を比較してしまっていた。班長として全員のサービスレベルを引き上げたいという必死さが招いてしまった過ち。

「私の失敗です。アナウンスでも語学でも最初からうまい子もいます。でも、できない子が努力する過程を大切にし、育成することを忘れてはいけませんでした」

人材開発部長時代の2005年には、一気に500人を採用し、育成のために急に忙しくなった。

「その年、従業員満足度調査の数値がドンと下がったんです。忙しいからだよねで終わらせてしまっていたのですが、それは言い訳にすぎませんでした。『河本さん、話聞いてくれないじゃないですか』という部下の本音が聞こえてきたんです。忙しいだけでは社員の満足度は落ちません。忙しくても時間をかけるべきところには丁寧に時間をかけるべきでした」