ANAグループ全体の客室サービスの統一化と、女性活躍推進の役割を担う河本さん。今までのキャリアの中でコミュニケーションがいかに重要かを思い知る場面がいくつもあった。ポジションが上がっても社員一人ひとりを見守る姿勢を大切にする。

「いい子」を演じていた自分の本心に気づく

ANAグループには、従来型のフルサービスキャリア(FSC)として全日本空輸(ANA)、エアージャパン、ANAウイングスが、ローコストキャリア(LCC)としてバニラ・エアが存在する。河本宏子さんの仕事の一つが、FSCの客室サービスに統一感を持たせること。

全日本空輸 取締役 専務執行役員 河本宏子さん

「3社とも同じ制服を着ていますから、お客さまからすればいずれもANAブランド。客室サービスへの意識や、実際のサービスの質に違いがあってはいけません。それを統一するのが私の役割です」

河本さんは最初、大阪空港支店に配属された。当時、大阪で採用された客室乗務員は大阪勤務、東京で採用された人は東京勤務と決まっていた。まだANAが国際路線を持っていなかった時代だ。

大阪空港を発着する国内便の客室乗務員を続けること7年間、一大転機が訪れる。ANAの国際路線への進出だ。大阪勤務の客室乗務員全員に対して「成田に行きたいですか? 行けますか?」と尋ねる面接があった。

「会社の命令に従いますと優等生のように答えたら、第1陣の異動メンバーに自分の名前がありませんでした。それを見てはじめて、アッ自分は本当は国際線に乗りたかったんだと気づいたんです。思えばそれまで、自分を押し出すことなく、仕事ぶりは可もなく不可もなくといった状態。このとき、自分の思いをきちんと発信していくことの大切さを学びました」

幸い、第2陣で東京行きが決まり、部長のところへあいさつに行ったとき、また大切なことを学ぶ。

「ふだん一緒に仕事をするわけではなく、部長と客室乗務員の間には距離があります。ところが『キミのことは聞いているよ』と言ってくれたのです。同じフライトの先輩チーフが、私の仕事ぶりを部長に話してくれていたのです。感謝の気持ちでいっぱいでした」

人数が多くとも、ポジションが離れていても、一人ひとりの仕事を認めることはできる。貴重な教訓を得て河本さんは29歳のとき、成田へと旅立つ。そこでの仕事はとても新鮮だった。国際線そのものがゼロからのスタートだったので、自分たちでサービスをつくりあげる面白みがあったからだ。

経営理念などが記された「ANA Book」とレターセット。お客さまへのお礼などをよく書くため、ポストカードや便せんと記念切手は常備している。

当初、香港を拠点とするキャセイパシフィック航空の指導を受けていたため、そのサービスが基盤になったが、中には日本人にそぐわないものもあった。

たとえばナッツを少しいって出すウオームナッツサービス。アメリカではカクテルと一緒につまむので一般的だが、日本人には馴染まないのでやめることにした。チーズも日本人客はあまり口にしなかったが、こちらはグローバルなエアラインを目指すため、自分たちもチーズのことを学んでお客さまにうまく勧めようと決めた。

「客室、スタッフという組織の壁も、入社年次の壁も越えて、みんなで国際線のサービスを考える雰囲気がありました」

部下に対してやってはいけないこと

仕事に充実感が増す中、30歳で班長になり、10人ほどの部下を持つことになる。その班長時代に、ちょっとした苦い経験をする。

「フライト中、ある部下と隣り合って座ったとき、こう話しかけられたんです。『河本さん、言っていいですか。河本さんはいつも私と○○さんを比較して注意をされる。それがつらいんです。私は私なりに頑張っているのに、どうしてそれを見てくれないんですか』」

その言葉が河本さんの心に突き刺さった。成田に来るときに、一人ひとりを見守る大切さを学んだはずだったのに、機内では知らず知らずのうちに部下を比較してしまっていた。班長として全員のサービスレベルを引き上げたいという必死さが招いてしまった過ち。

「私の失敗です。アナウンスでも語学でも最初からうまい子もいます。でも、できない子が努力する過程を大切にし、育成することを忘れてはいけませんでした」

人材開発部長時代の2005年には、一気に500人を採用し、育成のために急に忙しくなった。

「その年、従業員満足度調査の数値がドンと下がったんです。忙しいからだよねで終わらせてしまっていたのですが、それは言い訳にすぎませんでした。『河本さん、話聞いてくれないじゃないですか』という部下の本音が聞こえてきたんです。忙しいだけでは社員の満足度は落ちません。忙しくても時間をかけるべきところには丁寧に時間をかけるべきでした」

変えるべきことと変えてはいけないこと

客室本部長になった09年、国内線で無料だった飲み物が有料サービスに切り替わったときの経験も忘れられない。美味しいドリンクという価値提供と、コスト削減の両立が期待できる改革だった。

「客室乗務員が、お客さまの目を見てサービスするのが怖くなったと言うんです。それまでのように、お客さまがお弁当を広げたタイミングでお茶を持っていくことができなくなりましたから。やはり、お客さまの前には、笑顔で立たせてあげたいと思いました」

しかし、無料サービスに戻せば業務量が一気に増える。結局、無料のドリンクサービスと有料の茶菓子との組み合わせで折り合いをつけた。何を変えたらいいか、何を変えてはいけないかを深く考えさせられた体験だったという。

キャリアを通して感じるのは、仕事の喜びもつらさもコミュニケーションから生じるということ。そんな思いを詰め込んで、ANAブランドの向上に努める。

【上】キャビンマネジャー(関西空港支店へ)【下】取締役執行役員/オペレーション部門副統括

■河本さんの経歴

1979年(22歳)ANAに客室乗務員として入社
1986年(29歳)成田へ異動(国際線に乗務開始)
1987年(30歳)国際線チーフパーサー
1991年(34歳)アシスタントマネジャー
1999年(42歳)キャビンマネジャー(関西空港支店へ)
2002年(45歳)課長(成田空港支店へ)
2004年(47歳)客室本部人材開発部長
2006年(49歳)東京客室部部長
2007年(50歳)客室本部副本部長兼、品質評価部部長
2009年(52歳)執行役員/客室本部長
2013年(56歳)取締役執行役員/オペレーション部門副統括
2014年(57歳)常務取締役執行役員/女性活躍推進担当
2015年(58歳)常務取締役執行役員/ANAブランド客室部門統括
2016年(59歳)取締役 専務執行役員/グループ女性活躍推進 担当、東京オリンピック・パラリンピック推進本部 副本部長

■Q&A

 ■好きなことば 
小さなことほど丁寧に、当たり前のことほど真剣に

 ■趣味 
ゴルフ、ハーフマラソン、生け花、アート

 ■ストレス発散 
同級生などと緩やかな集まりでのおしゃべり

 ■愛読書 
『ハリスおばさんパリへ行く』ポール・ギャリコ著

河本宏子(かわもと・ひろこ)
全日本空輸 常務取締役執行役員。京都府出身。同志社大学文学部卒業後、1979年全日本空輸入社。86年、国際線就航初期のメンバーを務める。99年に管理職に昇格。 2009年に執行役員客室本部長、14年常務取締役執行役員、16年取締役 専務執行役員。