女性医師がキャリアを重ねられる環境づくり

当時は女性医師に対する無理解も深刻だったという。

「女が1人入ることで、男が1人不合格になっていることを忘れるな」

面と向かってそのようなことを言う先輩医師もいて、女性医師が産後復帰をためらう風潮に拍車をかけていた。

「医局を去った女性医師には、診察時間の決まっている地域のクリニックや産業医になって活躍している人が当時から多いんです。ここ十数年で医局に入ってくる後輩たちの中にも、非常に優秀な女性医師がいたのですが……」

医師不足が叫ばれる一方で、彼女たちの能力を活かせないことは、大学にとって大きな損失だと松尾さんはずっと感じてきた。

【上】慈恵医大の腎臓内科の医師(非常勤含む)の構成/最近は女性医師が増えてきたが、松尾さんが大学卒業当時は9人に1人の割合だった。【下】仕事の必需品/聴診器、ペンライト、ペン、身分証。白衣は厚地でポケットの大きいものがお気に入り。

「いまや医学部の受験生のうち3~4割が女性です。彼女たちがきちんとキャリアを重ねていける環境をつくることは、社会的にも重要なことであるはずです」

研修医を終えた彼女が腎臓・高血圧内科を選んだのは、幅広い専門性を持つ医師になりたいと考えたからだが、副病棟長に選ばれたことで、「より責任を感じるようになった」と話す。

慈恵医大では女性医師の登用のために、ワーキングマザーの医師たちによる育児・介護のワーキンググループがつくられ、病児預かり室の確保や短時間勤務など、さまざまな制度を充実させてきた。それらを医局内においても“生きた制度”とし、キャリアの新しい「道」をつくること――それが自身に与えられた役割だという思いを抱いたからだ。

そんな彼女が現在の自分を支えていると感じるのは、これまでに出会ってきた患者たちとのやり取りだという。

慈恵医大のスローガンに、創立者・高木兼寛の「病気を診ずして病人を診よ」という言葉がある。これは日本の医学が手本としてきたドイツ医学ではなく、イギリス医学に範をとった理念で、慈恵医大の建学の精神として、院内各所に掲げられているものだ。