同僚や後輩たちが次々と辞めていくなか、希少な女性医師として活躍してきた松尾さん。彼女のキャリアを支えてきたのは――。

腎臓・高血圧内科で、唯一の女性副病棟長

東京慈恵会医科大学(以下、慈恵医大)附属病院の腎臓・高血圧内科の医師、松尾七重さんは、同科で唯一の女性副病棟長だ。彼女は5チームほどに分かれた医師グループのリーダーの一人であり、また副病棟長として病棟長の補佐を兼任している。

東京慈恵会医科大学附属病院 腎臓・高血圧内科 医師 松尾七重さん

現在のポストに就いたのは2014年のこと。横尾隆医師が教授就任の挨拶で、「女性の活用」を医局改革の柱の一つに挙げた演説に背中を押された。

横尾医師があえて「女性の活用」を口にした背景には、大学病院をめぐる一つの課題があった。

全国の大学病院の腎臓・高血圧内科の中で、非常勤を含めると約百人の医師を擁する慈恵医大の医局は大きな組織である。だが、これまでは優秀な若手の女性医師が医局に来ても、結婚・出産後に復職するケースはごく少数だった。

「大学病院には当直があるので、出産してから復帰する医師がとても少ないんです。それに最先端医療を行う大学では、1年のブランクを取り戻すことに不安を覚える人が多い。優秀な女性医師が大学に残れる環境をつくることは、近年の大きな課題になっていました」

松尾さんが慈恵医大を卒業してから18年が経とうとしている。

大学病院に勤務する医師は一般的に、医学部を6年で卒業した後、研修医として5年間の経験を積む。その後も医局に所属し、専門医になるための臨床訓練が続くので、医師として独り立ちする頃には30代の半ば。彼女にもいくつかの転機があったが、独身のままここまできた。一方で、結婚や出産を機に、医局を去っていった同僚も多かった。

女性医師がキャリアを重ねられる環境づくり

当時は女性医師に対する無理解も深刻だったという。

「女が1人入ることで、男が1人不合格になっていることを忘れるな」

面と向かってそのようなことを言う先輩医師もいて、女性医師が産後復帰をためらう風潮に拍車をかけていた。

「医局を去った女性医師には、診察時間の決まっている地域のクリニックや産業医になって活躍している人が当時から多いんです。ここ十数年で医局に入ってくる後輩たちの中にも、非常に優秀な女性医師がいたのですが……」

医師不足が叫ばれる一方で、彼女たちの能力を活かせないことは、大学にとって大きな損失だと松尾さんはずっと感じてきた。

【上】慈恵医大の腎臓内科の医師(非常勤含む)の構成/最近は女性医師が増えてきたが、松尾さんが大学卒業当時は9人に1人の割合だった。【下】仕事の必需品/聴診器、ペンライト、ペン、身分証。白衣は厚地でポケットの大きいものがお気に入り。

「いまや医学部の受験生のうち3~4割が女性です。彼女たちがきちんとキャリアを重ねていける環境をつくることは、社会的にも重要なことであるはずです」

研修医を終えた彼女が腎臓・高血圧内科を選んだのは、幅広い専門性を持つ医師になりたいと考えたからだが、副病棟長に選ばれたことで、「より責任を感じるようになった」と話す。

慈恵医大では女性医師の登用のために、ワーキングマザーの医師たちによる育児・介護のワーキンググループがつくられ、病児預かり室の確保や短時間勤務など、さまざまな制度を充実させてきた。それらを医局内においても“生きた制度”とし、キャリアの新しい「道」をつくること――それが自身に与えられた役割だという思いを抱いたからだ。

そんな彼女が現在の自分を支えていると感じるのは、これまでに出会ってきた患者たちとのやり取りだという。

慈恵医大のスローガンに、創立者・高木兼寛の「病気を診ずして病人を診よ」という言葉がある。これは日本の医学が手本としてきたドイツ医学ではなく、イギリス医学に範をとった理念で、慈恵医大の建学の精神として、院内各所に掲げられているものだ。

ときには家族とも話し合いを

透析を行う腎臓内科は、とりわけ患者の長い病歴に医師がかかわっていく場所だ。通院する患者と何年にもわたって関係を築き、ときには家族とも治療方針をめぐって粘り強く話し合いを続ける。

後輩に道を示すためにも、野心を持つことにしたという松尾さん。「来た仕事は断らず、荷が重くても引き受ける」と心に決めている。

患者の人生や家族関係に深く立ち入る際は、慈恵医大のスローガンを常に胸に置く必要があった。

「透析を受ける患者さんのなかには、痛くても、苦しくても、いつも笑顔で挨拶をしてくれる人がいる。そんな人たちを励ましながら、一緒に病気と付き合っていくことが求められるんです。それに、腎臓内科はとても幅広い知識を必要とします。腎臓を診るということは、合併症を起こした他のさまざまな臓器や疾患を診ることでもあるからです。そのことに、大きなやりがいを感じました」

患者の人生を丸ごと診る医療を目指したい

長期間の治療で多くの患者と接するなかで、さまざまな「人生」に触れてきたという思いが彼女にはある。

例えば、病を治すことよりもどのように老いていくかを大切にしていた人、時間と生活が制約される透析を拒否し、家族と穏やかに過ごす時間を選んだ人、あるいは長い時間を医師と患者として過ごし、涙ながらに看取った人……。

そうした人々との出会いを指折り数えながら、彼女は言うのだった。

若い頃は余裕がなかったこともあった。本当にこの治療方法でよかったのかと悩み続けたことも一度や二度ではなかった――。

「ただ、そのなかで確かに学んできたことがあるんです。自分たちの仕事は病気を診るだけではなく、患者さんの人となりや気持ち、人生で培ってきた思いを丸ごと診るのだということ。そして、もしその人が治療方針に迷いを感じているのであれば、その気持ちを辛抱強く聞いて理解し、ともに悩みながら療法を選択していくこと。それが、私たちの目指すべき理想の医療だと考えるようになっていきました」

若手医師の成長を見守る

いま、副病棟長として若手医師を育てる立場でもある彼女は、個々の体験の意味をそのつど本人が考え、自らのスタイルをつくり上げていけるよう心がけている。

答えを自分が持っていても、それを伝える前に「一拍、時間を置く」。

日々葛藤し、悩む後輩たちの姿を、松尾さんは自分の昔の姿を見るような思いで見守っているのだろう。

Holiday shot!【写真上】長い休みはなかなか取れないが、2016年のゴールデンウイークには約10年ぶりに台湾を訪れ、中国茶を楽しんだ。マンゴーかき氷は毎日食べた。【写真下】大学の同期と軽井沢に花を見に行ったときの一コマ。同期の子どもたちが大きくなってきたので、最近会う機会が増えている。

悩み抜いた末に何らかの答えを見つけていく若手医師の成長を見ることが、最近はやりがいの一つになってきた。

この2年間で、腎臓内科を希望する女性医師も増えてきている。また、育休を取得した後に医局へ戻ってきた医師もいる。

そんななか、副病棟長として3年目を迎えた彼女は、次のように言った。

「制度を成熟させて環境を整えると同時に、女性の後輩たちには楽しんで働く自分の姿を見せたいと思っています。そうすれば、きっと彼女たちもついてきてくれる。だから、これからは医師としての仕事や出世に対する“野心”も、もっと持つようにしていこうと考えているんです。そうすることが、女性医師の歩く道を均(なら)していくことにつながると思うからです」

 

■松尾さんの24時間に密着!

6:00~7:00 起床・朝食
7:00~8:00 自宅出発・出勤
8:00~9:00 抄読会(医局勉強会)
9:00~11:00 教授回診
11:00~12:00 病棟カンファレンス
12:00~13:00 昼食
13:00~19:00 手術、病棟回診、急患対応など/週に2回は外来診察日
19:00~21:00 研究など/週に1回は医局会
19:00~21:00 退社
21:00~23:00 帰宅/夕食/ストレッチ
23:00~24:00 入浴
24:00~6:00 就寝

【写真左上から時計回りに】抄読会(医局勉強会)では、医局員が交代で最新の文献について発表しあう。/週1回の教授回診には、30人ほどの医師が参加。/病棟カンファレンスでは、医療スタッフと患者情報のすりあわせを行う。/病棟回診では、1日10~15人の診察をこなす。
松尾七重
1998年、東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業後、第92回医師国家試験に合格。2003年4月、同大学の腎臓・高血圧内科に入局、助教となる。12年4月より、同大学附属病院に勤務。