自分を正当化するために、過去を利用することは見苦しい

このコラムを読んでいただいている皆さんの多くは「年だから」というセリフが似合わないと信じていますが、それでも少しずつキャリアを重ねていくと頭の中が固くなってしまいます。

そうなると、他の人の考えが受け入れられなくなってきたり、周囲からの指摘に耳を貸せなくなってきたり、自らの誤りを認められなくなってきたりと、厄介な状況を引き起こしてしまう。そういう辛い事態に直面した時に、自分を正当化するため、つまりは失敗を積極的に認めないと決めた際に便利なのが“過去の自分”なのです。

「あの時、私はこう決意した」
「私の原点はあそこであり、それがブレることはない」
「迷った時には最初に戻って、その時の自分に問うことが肝心」

……頭の中はこんな感じでしょうか。もちろん、こうした問いかけが功を奏する場合もあるでしょう。しかし、このタイミングで周囲から指摘を受けて厳しい事態にぶち当たっているとしたら、自分をもっと疑ったほうがいい。

「私にもそんな風に考えた時代がありました」

コラム冒頭のこのセリフ。後輩を責めるために言うべき言葉ではありません。独り言としてボソッとつぶやいて、新しい考えを持ち、先に進んでいく選択をしたほうが得策である――というケースも少なくないのです。

「朝令暮改」上司はダメ上司の代表格?

今までの自分をある意味で否定して、新しい考えに基づいて行動する。こうすることに躊躇(ちゅうちょ)する理由の一つに「これまでと言っていることが違っているじゃないか」という非難にどう対応するのか、その方法が分からないことが挙げられるでしょう。かつて朝令暮改の指示をする上司は、仕事ができない、もしくは信用のおけない人の代表格のようなものでしたから。

言うことがコロコロ変わる「朝令暮改」上司は、ダメ上司の代表格……?

ただ、その風潮は緩やかに変わりつつあります。「自分が発言した言葉には責任を持つ」。かつてはこう言うとかっこいい感じがしましたが、今は違います。過去に言ったことにこだわりすぎて、状況判断や意思決定が遅くなったり、その結果仕事自体が大きく失敗したりすることが多い時代になりつつあるからです。失敗は積極的に認め、逐次必要な判断をし、その場その場に応じた指示を出す。そうできる人が、仕事で認められる時代になったということなのかもしれません。

だからというのも変ですが、自分自身のことに関しても、もっと朝令暮改になってもいいのかもしれません。周囲は「言っていることがコロコロ変わる人だな」と思うかもしれませんが、自分にとっての最適解は、そんな簡単には見つかるものではありませんから。良いと思ったことは積極的に取り入れて、日々進化する(場合によっては退化してしまうかもしれませんが)くらいの気持ちを持っていることが大切だと、私は思っています。