笑福亭鶴瓶さんの13番目の弟子、笑福亭べ瓶さん。べ瓶は「べべ」と読み、最後の弟子という意味で付けられた。関西学院大学を2年で中退して落語の道に入ったべ瓶さんだが、鶴瓶師匠はあまり落語の稽古は付けてくれない。そこで……。
落語好きにも認められたいというコンプレックスがあった
鶴瓶一門では、修行期間は通常3年。しかし、「お前はもう半年やれ」と言われて、3年半修行した。鶴瓶さんは落語の稽古をつけてはくれなかったが、入門3年目のある日、突然「一門会におまえも出ろ」と言われる。
「落語は1本も覚えてないし、着物も持っていないんですよ。『トップで15分、何でもエエから喋れ』と言われて、浴衣をいただきました。当日は言われた通り、15分間、自分の身の回りに起こった話を喋って高座を降りてきました」
落語の世界では、「ネタ」に入る前の導入部、いわゆる世間話を「マクラ」という。「ネタ(寝た)」の前なので「マクラ(枕)」という洒落になっているのである。
実は鶴瓶さん、べ瓶さんが車を運転している時に、よくこんなことを言ったそうだ。「今日の朝から今までで、あったことを喋ってみぃ」「この1週間で面白かったことを喋ってみぃ」……それこそ、マクラの稽古だったのだろう。
「日常で起こっている事の中から、面白い話をキャッチするアンテナを張っとかなアカンぞ、という事だったんやと思います。僕の話で、師匠が笑ってくれる時があるんです。それがうれしくてうれしくて。『おれは鶴瓶を笑わしたぞ!』って心の中で叫んでました(笑)」
鶴瓶さん自身も今は年間180席も落語をしているというが、本格的に落語をするようになったのは2002年9月、春風亭小朝さんとの二人会がきっかけだった。翌年、小朝さん、立川志の輔さんらと「六人の会」を結成し、上方落語協会の副会長にも就任した。べ瓶さんは師匠が落語へ踏み込んでいくのを間近で見ながら、一緒に学んでいったようなところがある。
「僕が入門した当初、師匠は年間5席ぐらいしか落語をやってなかったんです。だから当時は『鶴瓶の弟子が、落語できるんかいな?』とよく言われました。それが悔しくて、『落語好きな人にも絶対に認めさせたい』っていう思いはずうっと持っていました」
上方落語の基礎を教わりに、米朝一門へ
べ瓶さんは落語の基礎を学ぼうと、一門の外の師匠にも教えを請うた。噺家の世界では「この人のこの落語がすごい」というものを、一門の外にも学びにいくことがよくあるようだ。
「『東の旅発端』という、上方落語の基礎の基礎みたいな噺がありまして。それを2005年に米朝一門の桂米左師匠にお願いして、一から教えていただきました。今の僕の根底のひとつになっています」
笑福亭一門には6代目松鶴の十八番だった『らくだ』といった、大事なネタがある。
「次に師匠と親子会をさせていただく機会をいただけたとしたら、その時はトリで『らくだ』をやらせてもらおうと思っています」
そう話すと、べ瓶さんの顔がきゅっと引き締まった。