チラシの裏に書かれた手紙が人生を変えた

「僕がマリンバに出合ったのは中学の時。もともとラグビー部に入っていたんですが、2年生で足を痛めたんです。ふらふらしていたら、ある日、バスケ部の友達が『ちょっとブラスバンド部に行くからついてきて』と。その時勧誘されて、トランペットか、サックスをやってみたかったんですが、パートには空きがなくて。『打楽器なら空きがある』と言われて、そのままやることになっちゃったんです」

ありがちな展開だが、振り返るとここが一つの転機だった。しかし入部したものの、中学時代は音楽にそう熱心ではなかったようだ。

「僕をブラスバンドに誘ったバスケ部の友達は、とても器用でしかもイケメン、ちやほやされていたんですよ。それが僕には面白くなくて(笑)。でも高校進学と同時にその友人がバスケ部に戻ってしまい、後輩を育てる立場に。指導する立場なら自分も頑張らないと! というので、本気で楽器に向き合い始めました。当時はティンパニなどを担当していました」

そんなSINSKEさんにさらなる転機が訪れたのは、高校2年の秋、ブラスバンド部のコンサートだった。演奏を聴きに来ていた桐朋学園大学音楽学部・作曲科の教授が「あの子、面白いじゃないか」と、後日直々に手紙を送ってきたのだ。

その教授からの手紙は、コンサートを終えた高校の2年の冬に届いた。

「手紙は封書で届きました。開けてみると鉛筆書きで『シンスケ君、うちの大学で音楽をやる気はないか』と。しかもその手紙の裏側を見たらスーパーの特売のチラシだったんです(笑)。えーっ! っていう感じですよ。進学校だったので受験を考えなきゃいけない、でも進学先を決めていたわけでもなかった。そんな時期に、自分の考えてもいない方向に人が招いてくれることもそうないだろう。ここは騙されたつもりで、音楽大学進学に向けて1年真剣に勉強してみよう、と導かれるままに素直に進んでみました。音楽の英才教育を受けたこともない僕でしたから、ダメ元の挑戦でした」

それから1年は猛勉強の日々だった。小学生時代に母親に反抗して終止符を打っていたピアノにもう一度向き合い、音楽理論、ソルフェージュ、打楽器など6人の先生についた。マリンバともこの時期に初めて出合っている。受験科目に簡単なマリンバの試験があったからだ。1年間の努力の結果、SINSKEさんは桐朋学園大学音楽学部・打楽器専攻の合格を手にする。