「マリンバ1本でやっていく!」ベルギー留学、22歳の決断
桐朋学園大学音楽学部といえば、偉大な指揮者・小澤征爾など多数の著名な音楽家を輩出している音楽教育の名門。打楽器専攻は、オーケストラで演奏される打楽器全般を学ぶ。さまざまな打楽器に触れ、オーケストラの一員として演奏する機会もある中、SINSKEさんは自分の演奏家としての方向を模索する学生時代を過ごしていた。
「オーケストラで打楽器は“スパイス”だと思うんです。在学中、あるオーケストラのベテラン打楽器奏者の職人肌的な演奏に触れた時、オーケストラの一部として高い水準を保ちながら、クオリティの同じ演奏を求められることは、僕の目指すスタイルではないなと思ったんです。自分はそういうタイプの演奏家ではないと」
オーケストラのスパイスではない、ソロで聴かせるスタイル――自分の道がおぼろげに見えてきた頃、3度目の転機となる、後の師匠、日本のマリンビストの第一人者・安倍圭子氏の演奏を聴くことになる。マリンバ1台だけの2時間に及ぶフルコンサート。素晴らしい演奏に初めてマリンバの音色に魅せられ、心を鷲掴みにされた瞬間だった。
そこからが、真の意味で彼の挑戦の始まりだった。当時、打楽器奏者として順調に仕事を増やしてきていたSINSKEさん。「マリンバ1本でやっていきたい」という彼の考えに周囲の反応は冷たかったが、彼の決心は揺るがなかった。
大学在学中から、国内で既に打楽器奏者として活動していたSINSKEさんのマリンバ演奏は、あくまでも「打楽器奏者が奏でるマリンバ」という評価だった。そこでSINSKEさんは、自分のことを誰も知らない、マリンビストとしての新天地を求め、ベルギーへの留学を決める。22歳の決断だった。
「ベルギー留学には二つの選択肢がありました。一つは、優秀な演奏家をたくさん輩出している音楽学校を選ぶこと。もう一つは全くマリンバの文化のない音楽学校を選ぶこと。つまり、他のマリンビストたちと切磋琢磨する道を選ぶか、道なき道を自分で作るか。僕は迷わず後者を選びました」
こうして大学を卒業したSINSKEさんは、奨学生としてアントワープ王立音楽院へ留学することになる。
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/
ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/
撮影=ヒダキトモコ