次世代に期待されるイイ男を紹介する本連載、第1回のIT起業家から一転、今回は音楽の世界で今後さらに輝いていくだろうマリンビスト、SINSKE(シンスケ)さんの登場です。鍵盤打楽器マリンバの演奏家であり作曲家としても活躍する、彼の音楽にかける情熱に迫ります。

マリンビストにして、作曲家でもあるSINSKEさん。アントワープ王立音楽院各打楽器科を首席で卒業。 テヌート2000音楽コンクール(ベルギー)で優勝、併せてベルギー著作権協会賞を受賞。第3回世界マリンバコンクール(ドイツ)第2位、トロンプ国際打楽器コンクール(オランダ)第3位等、各欧州主要コンクールにおいて各賞を受賞の後、マリンバのソロ活動をスタートした日本マリンバ界の星だ。

「マリンビスト」ってどんな仕事? そう思う読者も多いかもしれない。マリンビストとは、音階と独特の木の響きをもつ、アフリカで生まれた鍵盤打楽器「マリンバ」の奏者のこと。

SINSKEさんはこのマリンビストとして、今、日本一注目されている演奏家だ。SINSKEさんがマリンバで演奏するのは、クラシックはもちろん、ポップス、ジャズ、マリンバのオリジナル楽曲までさまざま。

昨年は自主企画によるツアーなど50回以上のステージを成功させた。今年も既に40回の公演予定が組まれるなど、演奏家として精力的に活動する傍ら、マリンバのオリジナル楽曲や日本舞踊協会新作公演などの作曲を手掛け、さらにマリンバの普及と若い演奏家の育成にも熱心に取り組む、まさに八面六臂の活躍ぶりだ。それでいてこのビジュアル……追っかけファンがいる、というのも納得できる。気になるマリンバの音色は?

 
写真右は、演奏の相棒、マレットの数々。出したい音で使い分ける。写真中で演奏しているのは希少な革性のマレット。原始的でユニークな音を奏でることができる。

「マリンバを聴いた皆さんは、冬に聴くとあったかくて、夏に聴くと爽やかで涼しげ! と言ってくださる。木の響きは日本人にはなじみがいいのでしょう」とSINSKEさん。

実際、撮影に伺った録音スタジオで、軽やかに演奏してくれたSINSKEさんの奏でる音は、空間と人を一つにして心地よい振動と共鳴を感じさせた。どこか原始的なところと洗練されたところが共存する楽器。

そんなマリンバとの出会いについてSINSKEさんに聞いてみた。

チラシの裏に書かれた手紙が人生を変えた

「僕がマリンバに出合ったのは中学の時。もともとラグビー部に入っていたんですが、2年生で足を痛めたんです。ふらふらしていたら、ある日、バスケ部の友達が『ちょっとブラスバンド部に行くからついてきて』と。その時勧誘されて、トランペットか、サックスをやってみたかったんですが、パートには空きがなくて。『打楽器なら空きがある』と言われて、そのままやることになっちゃったんです」

ありがちな展開だが、振り返るとここが一つの転機だった。しかし入部したものの、中学時代は音楽にそう熱心ではなかったようだ。

「僕をブラスバンドに誘ったバスケ部の友達は、とても器用でしかもイケメン、ちやほやされていたんですよ。それが僕には面白くなくて(笑)。でも高校進学と同時にその友人がバスケ部に戻ってしまい、後輩を育てる立場に。指導する立場なら自分も頑張らないと! というので、本気で楽器に向き合い始めました。当時はティンパニなどを担当していました」

そんなSINSKEさんにさらなる転機が訪れたのは、高校2年の秋、ブラスバンド部のコンサートだった。演奏を聴きに来ていた桐朋学園大学音楽学部・作曲科の教授が「あの子、面白いじゃないか」と、後日直々に手紙を送ってきたのだ。

その教授からの手紙は、コンサートを終えた高校の2年の冬に届いた。

「手紙は封書で届きました。開けてみると鉛筆書きで『シンスケ君、うちの大学で音楽をやる気はないか』と。しかもその手紙の裏側を見たらスーパーの特売のチラシだったんです(笑)。えーっ! っていう感じですよ。進学校だったので受験を考えなきゃいけない、でも進学先を決めていたわけでもなかった。そんな時期に、自分の考えてもいない方向に人が招いてくれることもそうないだろう。ここは騙されたつもりで、音楽大学進学に向けて1年真剣に勉強してみよう、と導かれるままに素直に進んでみました。音楽の英才教育を受けたこともない僕でしたから、ダメ元の挑戦でした」

それから1年は猛勉強の日々だった。小学生時代に母親に反抗して終止符を打っていたピアノにもう一度向き合い、音楽理論、ソルフェージュ、打楽器など6人の先生についた。マリンバともこの時期に初めて出合っている。受験科目に簡単なマリンバの試験があったからだ。1年間の努力の結果、SINSKEさんは桐朋学園大学音楽学部・打楽器専攻の合格を手にする。

「マリンバ1本でやっていく!」ベルギー留学、22歳の決断

多彩なマレットづかいで、さまざまな音を紡いでいくSINSKEさん。昨年2015年は50本以上のコンサートをこなした。今年も既に40本のステージが予定されている。端正な容姿と気さくな人柄に、追っかけのファンがいる……というのも納得できる。

桐朋学園大学音楽学部といえば、偉大な指揮者・小澤征爾など多数の著名な音楽家を輩出している音楽教育の名門。打楽器専攻は、オーケストラで演奏される打楽器全般を学ぶ。さまざまな打楽器に触れ、オーケストラの一員として演奏する機会もある中、SINSKEさんは自分の演奏家としての方向を模索する学生時代を過ごしていた。

「オーケストラで打楽器は“スパイス”だと思うんです。在学中、あるオーケストラのベテラン打楽器奏者の職人肌的な演奏に触れた時、オーケストラの一部として高い水準を保ちながら、クオリティの同じ演奏を求められることは、僕の目指すスタイルではないなと思ったんです。自分はそういうタイプの演奏家ではないと」

オーケストラのスパイスではない、ソロで聴かせるスタイル――自分の道がおぼろげに見えてきた頃、3度目の転機となる、後の師匠、日本のマリンビストの第一人者・安倍圭子氏の演奏を聴くことになる。マリンバ1台だけの2時間に及ぶフルコンサート。素晴らしい演奏に初めてマリンバの音色に魅せられ、心を鷲掴みにされた瞬間だった。

そこからが、真の意味で彼の挑戦の始まりだった。当時、打楽器奏者として順調に仕事を増やしてきていたSINSKEさん。「マリンバ1本でやっていきたい」という彼の考えに周囲の反応は冷たかったが、彼の決心は揺るがなかった。

大学在学中から、国内で既に打楽器奏者として活動していたSINSKEさんのマリンバ演奏は、あくまでも「打楽器奏者が奏でるマリンバ」という評価だった。そこでSINSKEさんは、自分のことを誰も知らない、マリンビストとしての新天地を求め、ベルギーへの留学を決める。22歳の決断だった。

「ベルギー留学には二つの選択肢がありました。一つは、優秀な演奏家をたくさん輩出している音楽学校を選ぶこと。もう一つは全くマリンバの文化のない音楽学校を選ぶこと。つまり、他のマリンビストたちと切磋琢磨する道を選ぶか、道なき道を自分で作るか。僕は迷わず後者を選びました」

こうして大学を卒業したSINSKEさんは、奨学生としてアントワープ王立音楽院へ留学することになる。

森 綾(もり・あや)
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/

ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/