「日本の子どもはよく勉強する」は、もう昔話

まず、中韓のエリートは親も子も海外経験が長いのが大前提だ。そして中韓の子どもは、(日本人の子どもよりもはるかに)数学を先取りしていて、悔しいくらいよくできた。しかも(日本人よりはるかに)きれいな英語を、(日本人とは比べるべくもなく)臆せずに喋るのだ。そうそう、インドをアジアを呼ぶとびっくりする人もいるようだけれど、欧州では日中韓などの東アジアを「オリエンタル」、その他を「アジア」とざっくり認識している人が多い。中東やメキシカン料理がアジアにカテゴライズされていることもある。欧州はアジアからそれくらい精神的にも地理的にも遠い証左だと理解していたけれど。

いま欧州では、インド人はアジアで1、2位を争う優秀な国民だと認識されている。なんといっても数学での優秀さは人智を超えた、哲学的な領域である。しかも、当たり前のレベルで英語も喋ってくれる。

旧来のシステムに戻ろうなんて言う気はさらさらないが、いまの日本の教育における「悲痛な切迫感の欠落」は、悲痛な切迫感を過去に経験し、すでに繁栄して評価を手に入れトップスピードから速度を落とした国ゆえの移行であり、余裕であり、弛緩であり、下降なのだろう。人も国も、上手に枯れるのは切ないほど難しくて、そこには自律的な意識や教養や美学が必要になってくると思っている。コミュニティが華麗なる加齢を重ねるには、新陳代謝が落ちてきてもなお新鮮で力のある細胞が生まれ続けることが大切なのだろう。

少子化であっても、生まれてくる新世代をいかによく育て、いかにこれまでとは方向性の違う生産性を身に付けるか。落ち込むジェーンを励まし、「来年、あなたの娘の再受験が終わったら、今度は私が初ソウルに行くから美味しいもの教えてね」と再会を約束して手を振った。見回すと、師走の銀座の夜はあっけらかんと明るくて安全で、飲食店の軒先から漏れる音や匂いからは豊かさだけが立ちのぼる。でも溢れる人混みのそこここから聞こえる外国語に、日本が過去の方法論や価値観を脱ぎ捨てることの息吹をほのかに感じた。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。