帰国子女は不利?
でも、ジェーンの家庭はもともと韓国人経済学者として著名な夫について米国で長年暮らし、さらに欧州でも暮らしたような、国際的な背景を持っている。彼女の娘たちはそれこそ「帰国子女」として優遇されるだろうに、と思った私はそう尋ねた。「日本では帰国子女に特別に配慮された入試があるよ」と説明すると、「それは韓国とは違う。帰国子女であることは、国内の入試では不利になることはあっても有利になることはないわ」彼女はそう断言して、コーヒーに目を落とした。英語は当然できる。でも、入試問題になるような英語は生きた英語とは別物で、結局それだけを忠実に学んできたドメスティックな生徒が最も有利になる。国語を筆頭に、その他の科目においても、長年ドメスティックな教育を受けて知識を詰め込み、受験テクニックを磨いてきた子どもの方が、結局ははるかに有利なのだとジェーンは説明してくれた。
「いっそ米国のアイビーリーグあたりを狙っても、あなたの娘ならすんなり行けるんじゃない?」。スイスの国際機関に派遣された親を持つ、世界中からやってきたエリート家庭の子ども達がひしめいていたインター時代、長い米国赴任生活仕込みの英語を操る彼女の子どもたちは、本当によくできた。でもジェーンは浮かない顔で首を横に振る。「たとえアイビーに受かっても、学部4年に加えて大学院までの滞在生活費を出すような余裕はないわ。それに」、ジェーンは昔からの癖で紙ナプキンをきちょうめんに折り畳むと顔を上げた。「大学から海外に留学してしまうのは、韓国でのキャリアパスとしては本流ではないのよ。韓国内のどこの大学を卒業したか、それで将来が決まるの」。
勝負が1日しかないからこそ“平等”
少し前の日本の受験社会を彷彿とさせるようでもあり、今も日本社会に沈殿するクラシックな学歴社会の名残を思い起こさせるようでもあり、しかしそれだけ子どもの将来を決定してしまう試験が1年に1回限りしかないという入試システムが社会に与えるストレスたるや、大変なものだろうにと思った私はこう聞いた。「ラットレース社会と揶揄された日本でさえも、今は難関大学に入るルートは複数用意されているし、米国のように高校時代の活動や本人の秀でた能力を評価する推薦入試もかなり普及してるよ。受験時期もまちまちだし。その日しか試験日がないなんて、そんな巨大なストレスは逆にパフォーマンスを損なわないかな?」
「その日しかないからこそ、平等なのよ」。ジェーンは答えた。「女子だったら、その日に生理が来ないように、母親たちは事前に産婦人科でピルを処方してもらって娘の生理日を調整するの。リスニング試験の邪魔をしないように、試験日の飛行機の航行や屋外のイベントは規制されるし、交通整理もあるわ。国中がその日に向けて最上のコンディションを準備するのよ。だから、みんな平等の条件下で戦えるわけ」。
そうか、韓国では受験する子どもたちは“オリンピック選手”なのだなぁ……と、ぼんやり思った。かつて、そういう時代が日本にもあった。「日本人や韓国人や中国人の子どもはすごく勉強する」イメージは、いまだに海外で根強い。でも、スイスと英国で子どもたちを学校に通わせていたとき、私は日本はその東アジアの「優秀」グループから離脱しつつあるという感想を持っていた。