スイスで駐在家族として暮らしていた頃の、韓国人の“ママ友”に再会した河崎さん。彼女の娘はアメリカ、ヨーロッパで育ち、英語堪能、成績優秀。それなのに今ソウルで大学受験に苦労しているという。そんな韓国の受験事情とは……?

その日、銀座のホテルのロビーで再会したジェーンは、4年の月日を感じさせないあの頃のままの親しみやすい笑顔と達者な英語で「あなたの大好きな韓国海苔、持ってきたわよ!」と、無数の海苔パックが詰まった巨大な紙袋を持ち上げて見せた。そう、彼女は覚えていてくれたのだ。私たちが共にスイスの街で駐在家族として暮らし、インターナショナルスクールでお互いの娘が同じクラスになったのをきっかけに知り合って以来、子どもの教育の悩みやヨーロッパのど真ん中で暮らすアジア人としての悩み、キャリアを積む夫に帯同して海外を転々とするものの自分のキャリアはどうするかといった話をしみじみとする中で、私が酔っ払いながら「韓国海苔と日本の某ビールの類いまれな相性の良さ」について、長々と持論を述べたのを。

韓国大学受験事情

コラムニスト・河崎環さん

日韓政府が共同開催する会議のために東京出張するエリート官僚の夫とともに2人っきりで東京観光に来たと言うジェーンは、「このあいだ上の娘の受験が終わったの。そうしたらなんだか燃え尽きちゃって」とため息をついた。彼女の娘と私の娘はインターナショナルスクールでは同学年だったが、それぞれの本国に戻ると学年は1つ違い。私の娘は昨年大学受験を終了して無事に入学し、私はすっかり手も離れた気分で受験など過去の話題になってしまっていたが、ジェーンの娘は今年高校3年生で大学受験の真っただ中にあった。日本以上の学歴社会であり、苛烈さで有名な韓国の大学受験。ジェーンは「韓国人ママ」らしく彼女らしい生真面目さで子どもの受験につきっきりの生活を送っているのだとは、毎年のクリスマスカードやメールのやり取りで聞いていた。

「じゃあ、子どもたちはソウルにおいてきたの?」と訊ねると、「そうよぉ。大学統一試験まで、私もずっと上の娘につきっきりだったから、ちょっと離れて子どもにも一息つかせてあげないといけないかなって。志望大学レベルにはかなり遠い結果で一浪決定しちゃって、私たち両親も彼女自身もショックが大きくて……この10日間は親子喧嘩ばかりしてたわ」

韓国版センター試験の結果で、ほぼすべての大学の入試の6割が決まる

先日、日本でもセンター試験が行われたけれど、必ずしも「センター試験での不振=即、浪人確定」とはならないのが、いまの日本の大学入試制度だ。センター試験の結果は、国公立や一部私立のセンター利用入試を左右することはあっても、例えば国公立入試なら2次試験での挽回は十分に考えられる(大学によるが)。また私大は学部別に独自の試験を課している以上、難関大への門戸はセンター試験以外にも開かれている。

だがジェーンの説明によると、韓国の大学統一試験(「大学修学能力試験」というそうだ)は、国内のほぼすべての大学の入試採点の6割分に充てられるため、大学修学能力試験での失敗はそのまま大学入試失敗に繋がるのだという。彼女の家庭は韓国の中でもエリート家庭であるため、もちろん望むはソウル大、あるいはそれを頂点としたピラミッドの最上層に位置する大学のどこかだ。それを念頭に置き、彼女の娘は夜10時まで学校で勉強し、それでも足りずに塾に通うような必死の努力を重ねてきた。

帰国子女は不利?

でも、ジェーンの家庭はもともと韓国人経済学者として著名な夫について米国で長年暮らし、さらに欧州でも暮らしたような、国際的な背景を持っている。彼女の娘たちはそれこそ「帰国子女」として優遇されるだろうに、と思った私はそう尋ねた。「日本では帰国子女に特別に配慮された入試があるよ」と説明すると、「それは韓国とは違う。帰国子女であることは、国内の入試では不利になることはあっても有利になることはないわ」彼女はそう断言して、コーヒーに目を落とした。英語は当然できる。でも、入試問題になるような英語は生きた英語とは別物で、結局それだけを忠実に学んできたドメスティックな生徒が最も有利になる。国語を筆頭に、その他の科目においても、長年ドメスティックな教育を受けて知識を詰め込み、受験テクニックを磨いてきた子どもの方が、結局ははるかに有利なのだとジェーンは説明してくれた。

「いっそ米国のアイビーリーグあたりを狙っても、あなたの娘ならすんなり行けるんじゃない?」。スイスの国際機関に派遣された親を持つ、世界中からやってきたエリート家庭の子ども達がひしめいていたインター時代、長い米国赴任生活仕込みの英語を操る彼女の子どもたちは、本当によくできた。でもジェーンは浮かない顔で首を横に振る。「たとえアイビーに受かっても、学部4年に加えて大学院までの滞在生活費を出すような余裕はないわ。それに」、ジェーンは昔からの癖で紙ナプキンをきちょうめんに折り畳むと顔を上げた。「大学から海外に留学してしまうのは、韓国でのキャリアパスとしては本流ではないのよ。韓国内のどこの大学を卒業したか、それで将来が決まるの」。

勝負が1日しかないからこそ“平等”

少し前の日本の受験社会を彷彿とさせるようでもあり、今も日本社会に沈殿するクラシックな学歴社会の名残を思い起こさせるようでもあり、しかしそれだけ子どもの将来を決定してしまう試験が1年に1回限りしかないという入試システムが社会に与えるストレスたるや、大変なものだろうにと思った私はこう聞いた。「ラットレース社会と揶揄された日本でさえも、今は難関大学に入るルートは複数用意されているし、米国のように高校時代の活動や本人の秀でた能力を評価する推薦入試もかなり普及してるよ。受験時期もまちまちだし。その日しか試験日がないなんて、そんな巨大なストレスは逆にパフォーマンスを損なわないかな?」

「その日しかないからこそ、平等なのよ」。ジェーンは答えた。「女子だったら、その日に生理が来ないように、母親たちは事前に産婦人科でピルを処方してもらって娘の生理日を調整するの。リスニング試験の邪魔をしないように、試験日の飛行機の航行や屋外のイベントは規制されるし、交通整理もあるわ。国中がその日に向けて最上のコンディションを準備するのよ。だから、みんな平等の条件下で戦えるわけ」。

そうか、韓国では受験する子どもたちは“オリンピック選手”なのだなぁ……と、ぼんやり思った。かつて、そういう時代が日本にもあった。「日本人や韓国人や中国人の子どもはすごく勉強する」イメージは、いまだに海外で根強い。でも、スイスと英国で子どもたちを学校に通わせていたとき、私は日本はその東アジアの「優秀」グループから離脱しつつあるという感想を持っていた。

「日本の子どもはよく勉強する」は、もう昔話

まず、中韓のエリートは親も子も海外経験が長いのが大前提だ。そして中韓の子どもは、(日本人の子どもよりもはるかに)数学を先取りしていて、悔しいくらいよくできた。しかも(日本人よりはるかに)きれいな英語を、(日本人とは比べるべくもなく)臆せずに喋るのだ。そうそう、インドをアジアを呼ぶとびっくりする人もいるようだけれど、欧州では日中韓などの東アジアを「オリエンタル」、その他を「アジア」とざっくり認識している人が多い。中東やメキシカン料理がアジアにカテゴライズされていることもある。欧州はアジアからそれくらい精神的にも地理的にも遠い証左だと理解していたけれど。

いま欧州では、インド人はアジアで1、2位を争う優秀な国民だと認識されている。なんといっても数学での優秀さは人智を超えた、哲学的な領域である。しかも、当たり前のレベルで英語も喋ってくれる。

旧来のシステムに戻ろうなんて言う気はさらさらないが、いまの日本の教育における「悲痛な切迫感の欠落」は、悲痛な切迫感を過去に経験し、すでに繁栄して評価を手に入れトップスピードから速度を落とした国ゆえの移行であり、余裕であり、弛緩であり、下降なのだろう。人も国も、上手に枯れるのは切ないほど難しくて、そこには自律的な意識や教養や美学が必要になってくると思っている。コミュニティが華麗なる加齢を重ねるには、新陳代謝が落ちてきてもなお新鮮で力のある細胞が生まれ続けることが大切なのだろう。

少子化であっても、生まれてくる新世代をいかによく育て、いかにこれまでとは方向性の違う生産性を身に付けるか。落ち込むジェーンを励まし、「来年、あなたの娘の再受験が終わったら、今度は私が初ソウルに行くから美味しいもの教えてね」と再会を約束して手を振った。見回すと、師走の銀座の夜はあっけらかんと明るくて安全で、飲食店の軒先から漏れる音や匂いからは豊かさだけが立ちのぼる。でも溢れる人混みのそこここから聞こえる外国語に、日本が過去の方法論や価値観を脱ぎ捨てることの息吹をほのかに感じた。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。