相手の「偉さ」を見極める経験を

【河崎環さんの回答】

世間の中途半端に偉い(?)人には「大いに畏れ、敬われ、かしずかれたい」と欲している人も少なくないので、そんな人々はあなたの「つい力が入ったコミュニケーション」を「ホホッ、苦しゅうない」と思っているはずです。でも面倒なのは、中にはそんな一生懸命なあなたを安く値踏みしたり、「重たい」と敬遠したりする人もいることですね。尊重と「かしこまる」のは別物です。

ではなぜ力が入ってしまうのかを検証しましょう。「年齢が上である」。年上ならきっと自分より経験値が高いと思うのですね? 「肩書が偉い」。肩書がゴツければ、きっと知見もお金もあって自分より上等な人間にちがいないと恐縮するのですね? でもその「上等なはず」の人が一生懸命なあなたを安く扱ったり、重たいと遠ざけたりするものでしょうか? 本当に「偉い」とはどういうことか。もし相手が形式的な上下関係に価値をおかず、人間を年齢や肩書でなく本質で見る習慣を持ち、だからこそその肩書を手にしているバランスの良い人なら、あなたをリラックスさせる一言をかける力があるはずです。

この儒教社会の日本においては、目上の人を敬うことは大切な社会スキルです。あなたはそこに羨ましいほど疑問や屈折がなく、むしろ適応しているとも言えます。初めのうちは力が入っていていいのです。いろいろな人に会い、さまざまな扱いを受けるうちに、自然とあなたの中で人間観が育まれ、調整がついていきます。

女性回答者プロフィール:河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。

文=本田健、河崎環 イラスト=伊野孝行