本作の主人公と同様に、ボース監督もまた米国で学んだ経歴を持つ。デリー大学を卒業後、ニューヨークに渡りコロンビア大学に留学。政治学の修士を取得し、UCLAの監督コースに学んだ才媛だ。
インドの女性監督には、本国で大ヒットを記録した『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(日本では2013年公開)のファラー・カーン、『人生は一度だけ』のゾーヤー・アクタルなど、商業性の強い作品を手掛けるヒットメーカーに芸能一家の出身が多い。
一方で『モンスーン・ウェディング』などで知られるミーラー・ナーイル、米アカデミー賞外国語映画部門のカナダ代表に選ばれた『とらわれの水』のディーパ・メータなどは、海外で高い教育を受け、海外に拠点を起きながら客観性を持ってインド社会を見つめた映画作りをしていることが特徴だ。ボース監督の場合、経歴は後者だが、「私の作品は、自分で脚本から手がける以上、インドで作りたい」と言う。
しかし、インドでは女性への差別意識も依然根強く、映画業界もまだまだ男性中心。本作についても、企画段階から「主人公を男性にしてスター俳優を使えば、もっと予算がつくのに」と再三疑問を投げかけられた。スター・システム(人気スターの起用を大前提に映画製作が進められること)も健在で、「女優で大スターもいるけれど、物語の中心に置かれることはなく、映画のお飾りのような扱いをされてきた」とボース監督。
だが、問題の根源は男性にのみあるものではないと指摘する。「たとえば、男性と対等にしようという動きがあって、とりまく環境に変化が生じても、足を引っ張るのは女性だったりする。私は、『マルガリータで乾杯を!』の主人公を男の子にして、しかもゲイであったという設定にしても、変わらずステキな映画にできたと思っています。でも、私はインドの映画界で仕事ができて、女性の立場で映画を撮るという役割を与えてもらっている。インドの女性も自ら意識を変える必要がある、だから、意識的に女の子の話にしたのです」