子どもが悲しむことが一番つらい
自分のキャリアが大きく開けていくその裏で、ちいさな娘にかけた負担も半端なく大きかったです。
私にはNYに親戚も友人もいませんでした。ベビーシッターに預けて仕事に行くのですが、東海岸から西海岸まで全米をフィールドにしていたので、東京・大阪間を出張するのとはわけが違います。泊りがけの出張のときは娘が本当に嫌がりました。すごく寂しい気持ちだったと思います。今でも「母の日は嫌いだった」と話すことがあります。
大事なミーティングがあれば、娘が風邪をひこうが振り切って出勤しました。週末のゴルフも断りませんでした。ある朝、娘の体調が悪かったので、ベビーシッターに医者に連れて行ってくれるように頼み、出勤しました。娘が医者で診てもらって帰る途中、偶然にも街中で私と出会ってしまったのです。娘は必死で私のほうに手を差し伸べました。でも私は顔を伏せ、娘の前を黙って走り抜けるしかありませんでした。
幸か不幸か自分で稼がなくては食べていけないシングルマザーには、それ以外の選択がありません。だから続いたんだと思います。もしも頼れる夫がいたら、とっくにギブアップしてしまっていただろうと思います。
母親にとって、子どもが幸せでないのが一番堪えます。社会で「女性だから」とアンフェアに扱われるくらい、どうということはありませんでした。そんなの逆にエネルギーにしていました(笑)本当にしびれたのは子供のこと。心の底から娘たちの時代には私のような選択はさせたくないと思いました。
コンペなんてしている場合じゃない!
自分のキャリアを根底から見直す事件が9.11のNY同時多発テロです。あの日、通信インフラはめちゃくちゃになりました。NYの街にサイレンが鳴り響く中、「ガレキの下に残された人が助けを求めています。無事な人は携帯電話を使わないでください」とアナウンスがありました。
私たちが提供している通信インフラとは何かを本当に考えさせられました。通信って本当の意味でライフラインなんだ。「サービスを売る」なんて代物ではないのではないか。ITバブルにのぼせてコンペに没頭している場合ではないのではないか。
音をたて崩れ去るトレードセンターとITバブル。完全崩壊したNYの通信インフラの復興にあけくれた数カ月の自問自答が、新たな転機をもたらしました。この海外での10年以上の経験を絶対に日本に帰って伝えなければいけないと思いました。日本に戻ってからは、世界の通信インフラはどうなっていかなければならないかとか、日本のようなテクノロジー大国のミッションとか。日本に帰ってからはそんな寄席にあけくれていました。
大下明文=構成 向井 渉=撮影