住居とともに変わった心
最初、佐々木さんは半信半疑でした。
「今さら生活なんて変えられるのかな……」
そう口では言いながらも、心のどこかでは「このままでは本当にまずい」という危機感を抱いていたのです。
そこでまず取り組んだのが、住居の見直しでした。長年住み慣れた駅近のマンションは便利でしたが、家賃8万円は年金生活には重すぎます。
私は、少し郊外でもよいので家賃5万円前後の物件を探すよう勧めました。
最初は、
「今さら狭い部屋なんて……」
と抵抗感もあった佐々木さんでしたが、実際にいくつか物件を見て回るうちに考えが変わっていきました。
「ひとりなら、意外とこれで十分かもしれないな……」
結果として、佐々木さんは家賃5万2000円の1DKへ引っ越しました。駅からは少し離れていましたが、映画や音楽を楽しめる静かな部屋でした。
固定費が大きく下がり、家計はかなり改善しました。さらに、長年集めていた大量の映画DVDやジャズレコードも少しずつ整理しました。最初は手放すことに強い抵抗があったと言います。
しかし不思議なことに、整理が進むにつれ佐々木さんは気持ちまで軽くなっていったのです。「持っているだけで満足してた物も多かったんだな……」
売却したお金は、生活予備費として別口座に確保しました。また、自治体の高齢者向け支援制度も積極的に利用しました。医療費負担の軽減制度、介護予防サービス、地域包括支援センターの相談など、それまで「自分には関係ない」と思っていた制度が、実は生活を支える大きな助けになったのです。
生活費も月17万円から13万円台まで圧縮
そして何より大きかったのは、「少しだけ働く」ことでした。腰の状態が落ち着いてから、佐々木さんは週3日、近所のミニシアターで受付スタッフの仕事を始めました。
映画好きだった佐々木さんにとって、それは苦痛どころか楽しみでもありました。
「いらっしゃいませ」
そんな一言を交わすだけでも、人とのつながりが生まれます。
常連客と映画談義をする時間は、かつての孤独感を少しずつ消していきました。月5万円ほどの収入でしたが、それ以上に「社会とつながっている」という実感が、佐々木さんの表情を明るく変えていったのです。
やがて生活費も、以前の月17万円から13万円台まで圧縮できるようになりました。
・家賃 5万2000円
・光熱費 1万2000円
・食費 3万円
・雑費 4万円程度
さらにアルバイト収入も加わり、赤字はほぼ解消。将来資金への不安も、大きく和らぎました。
ある日、相談の帰り際に佐々木さんは笑いながらこう言いました。
「年金を繰上げたこと自体は、やっぱり失敗だったと思います。もし、あのまま見栄を張って暮らしてたら、もっとひどいことになってたかもしれないですね……」
そして少し照れくさそうに続けました。
「今は金額より、“ちゃんと今日を暮らせている”って感じがするんです」
老後は、一度の判断ミスで大きく家計が崩れることがあります。
しかし一方で、生活を小さく整え直し、人とのつながりや支援をうまく取り入れることで、立て直せるケースも少なくありません。
佐々木さんは今、以前ほど高価なジャズレコードを買うことはありません。けれど休日には、小さな部屋でお気に入りの古いレコードを流しながら、缶コーヒー片手に静かな時間を楽しんでいます。
「老後の幸せって、案外こういうことなのかもしれないな……」
そうつぶやく佐々木さんの表情には、以前のような焦りはもうありませんでした。
慶應義塾大学卒業後、大手金融機関に勤務し、定年まで会社員として働く。56歳で出向による年収減少を経験したことをきっかけに、自身の老後資金や人生設計を見直す。その後、親の介護や病気、自身のケガなど、人生後半に訪れるさまざまな課題に直面した経験から、人生には「仕事」「投資」「年金」「介護・医療保険」「住宅」の5つの崖があることに気づく。現在、独立系ファイナンシャル・プランナーとして、執筆・相談・講演活動を行う。相談実績は延べ1000件超。100歳までの家計シミュレーションによる「お金の見える化」を強みとし、老後資金、定年・再雇用、住宅購入、年金などの相談に定評がある。CFP®認定者、1級ファイナンシャル・プランニング技能士、DC(確定拠出年金)プランナー。2023年日本FP協会「くらしとお金のFP相談室」相談員。J-FLEC認定アドバイザー(金融経済教育推進機構)。NHK 「おはよう日本おはBiz」出演ほか、メディア掲載多数。著書に『50代から老後の2000万円を貯める方法』『見るだけでお金が貯まる賢者のノート』など。
