処分を受けた宇野千代が残した意外な言葉

恋は、着物にも及んだ。一反4円80銭の銘仙を買って着物に仕立て、裏地をつけると、月給8円はなくなった。母に渡す分は減り、給料は化粧と和服に消えていく。

評伝は、その頃の出で立ちを語る千代の文章も引いている。牡丹の花を刺繍した半襟を襟元に重ね、顔には濃い化粧。袴は穿いていても学校の先生ではなく、「カフェの女給さん」のようだったという。

学校へ行く支度は、働くための支度であると同時に、好きな男に会うための支度でもあった。

同僚たちの間には、生徒を口実にしてあまり仲よくされても困るという声も出たらしい。やがて2人のことは、村中に知られるようになった。

ある日、出勤した千代は、すぐに校長室へ呼ばれた。今学期いっぱいで学校を辞めてもらわなければならない。役所からの命令で、どうにもならないという。

自伝では「諭旨免職」と書かれている。そのとき千代は、罰を受けたのは自分ひとりで、相手には何の咎めもないと思った。

ここからの数行が、意外である。

人々は、自分ひとりが男を誘い込んだと見たのかもしれない。それでもよい。いや、その方がよい。千代はそう書いて、こう続ける。

「この処置によって、男が少しも傷つかなかったのを、私はどんなに喜んだか知れなかった。」

宇野千代の生家(山口県岩国市)
宇野千代の生家(山口県岩国市)(写真=Heartoftheworld/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

小学校教員時代の「いちばん長い日」

少なくとも自伝で前に出てくるのは、自分だけが罰を受けたことへの抗議ではなく、相手まで罰を受けずに済んだことへの安堵だった。

ただし、学校に残る記録は、このときの千代の認識と一致しない。

評伝が確認した「学校沿革誌」では、千代は大正5年3月31日付の「依願退職」とされている。そして玉田も、同じ日付で坂上村の小学校へ転任していた。ドラマでは島村は変わらず担任を続けるようだが、実際の相手は、何事もなく元の学校に残ったわけではなかったのである。

もちろん、退職と転任は同じ扱いではない。千代が職を失ったことは変わらない。相手も罰を受けたと千代が知るのは、のちのことだ。最後の登校日の千代は、まだ、罰を受けたのは自分ひとりだと思っている。そう信じたまま、その男に見せるために着飾ったのである。

別れの日が来ると、千代は冒頭の姿で学校へ出かけた。着物は、子どものころにもらった、そろいの着物と羽織を継ぎ足して、一枚に仕立て直したものだった。

当時の学校には裁縫の女教員が髪を桃割れという日本髪に結って来ることはあった。日本髪というだけで、奇異に映るわけではないが、その日の千代の姿はどう見ても「免職になって、身を慎ましくしている娘」とは思えなかった。

学校を辞めさせられるのだから、慎ましくしているべきだ。校長が驚いた反応を見せたことは、その期待をうかがわせる。だが千代が考えていたのは、別のことだった。