138億円を支払ってでも日本を選んだ
台湾との安定したパートナーシップは、往時の台湾が欧州との関係を切ってまで日本を選んだことで始まった。
発端は1997年、ドイツのシーメンスとフランスのアルストムによるコンソーシアム「ユーロトレイン」が、台湾の高速鉄道計画で優先交渉権を確保したと主張したことにある。
ところが1999年になって、総額140億ドル(約2兆1700億円)規模となるこの事業を受注したのは、日本勢だった。ユーロトレインは台湾高速鉄道に賠償を求めたが、台湾高速鉄道は両者間に契約は存在しないと反論した。
ユーロトレインによる2001年の国際商業会議所(ICC)への仲裁申し立てを経て、最終的に2004年11月、元本6500万ドル(約101億円)に利息を加えた計8900万ドル(約138億円)を支払う和解が成立している。
台北タイムズによれば、こうしてまで日本が選ばれた背景に、当時の李登輝総統が日本との関係強化を望んだことが影響したとの見方もあるという。ただし台湾高速鉄道は、政治的な考慮はなかったと否定している。
日本企業が獲得した契約総額は46億ドル(約7130億円)に上ると、同紙は伝える。2003年には三菱重工業率いるコンソーシアムが最後の大規模入札を勝ち取り、全長345キロメートルの路線の95%以上を日本が建設することになった。
こうして台湾高速鉄道は、日本の新幹線システムが海外で採用された初めての事例となった。
台湾にも日本を諦める誘因はあった
台湾は日本の新幹線が海外で成功した唯一の例だが、同時に、新幹線が国内で守ってきた原則を唯一崩した場所でもある。日本の車両が、欧州の規格で設計された土木構造物や軌道の上を走っているからだ。
イギリスのラフバラー大学で国際関係論を教える玉置拓氏は、オーストラリア発学術系非営利メディアのカンバセーションへの寄稿で、新幹線の評判が保たれてきたのは、この技術が他国のシステムと組み合わされなかったためだと指摘している。
しかし台湾では、日本の新幹線が欧州規格で建設された線路を走る。玉置氏によれば、当時の日本の技術者はこの想定外の組み合わせを深く懸念していた。日欧の設計を混在させたことで何か問題が起きれば、新幹線の国際的な評判が傷つくと恐れたからだ。もっとも、実際には懸念された問題は起きず、運行に起因する乗客の死亡事故ゼロの記録は伸び続けている。
やがて車両の更新時期が訪れると、今度は台湾側が日本製の高いコストに決断をためらった。しかし、欧州製を選べば混成車両群となり、より複雑さが増す。結果として選んだのは日立と東芝だった。
このように、台湾にも日本の車両を諦める誘因はあった。原因は価格で、インドが日本を外そうとしている理由の一つと重なる。それでも台湾が日立と東芝を選んだのは、開業以来積み上げてきた運行実績と無事故記録という判断材料を持っていたからだ。開業前に離反姿勢を示しつつあるインドに対し、実際に走らせた台湾においては、再発注につながる良い実績を重ねている。

