「激しい恋愛、出獄の上は結婚」

しかし、監獄の面会時間は短く、看守の監視のもとさく越しの面談では手を握ることもできない。そんな状況でただの知人から恋人同士に関係が発展し、木下が出獄すれば結婚する約束までしていたのだから驚く。

立ちはだかる障害が、愛を盛りあげる最高の演出装置になることもあるようで……どうやら、和と木下もそのパターンか。

明治31年(1898)12月7日、木下は無罪判決を下されて釈放された。しかし、獄中で約束した結婚は実現しない。

愛蔵は最初からこの結婚には反対だった。本人にはまったくその気はなかったのだが、結果的にふたりをめぐりあわせた愛のキューピッドになっている。それだけに、こうなってしまったことに責任を感じていた。

前列左から安部磯雄、幸徳秋水、木下尚江、片山潜
前列左から安部磯雄、幸徳秋水、木下尚江、片山潜。1901年(写真=『アサヒグラフ』1949年3月2日号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

木下は女郎を身受けして同棲

色恋に潔癖な愛蔵は、女性関係にだらしない木下に苦言を呈することが度々あった。木下は何事にも熱情的な男だが、女性にもまた同様で惚れやすい。図太い性格はこういったときにも発揮される。好きになればぐいぐいと迫って距離を詰めようとする。じつは和にアプローチしていた頃も、廃娼はいしょう運動で知りあった女郎を身受けして同棲していたとも言われる。

和が前夫と離婚したのはめかけの存在が許せなかったからだ。そんな木下の前科を知っていたのだろうか? 男女関係に潔癖な彼女には許せないことだと思うのだが……。

ふたりの関係がハッピーエンドで終わるはずがない。木下の女癖の悪さが、いずれ破局の要因になると、愛蔵は予想していた。尊敬する和が傷つき悲しむようなことにならぬよう、木下を必死に説得して結婚を思い留とどまらせようとした。

そう考えていたのは愛蔵だけではない。他にもふたりを知る友人や知人たちの多くがこの結婚に反対した。

問題は木下の浮気癖だけではない。いまや彼女の存在は医学界のみならず広く世に知られている。それだけに10歳も年下の男と結婚したとなれば、無責任な噂が流れて彼女の名声が傷つけられるかもしれない。それを杞憂きゆうする声も多かった。