「自民党のことが本当に好きでした」
「父は、自民党のことが本当に好きでした」
角栄の棺の前で、衆院議員になっていた眞紀子氏はそう語ったという。
当初、眞紀子氏は「オヤジの顔を見て、最後のお別れをしたい」という旧田中派議員たちの希望を頑として受け付けなかった。権力闘争に明け暮れた晩年の父の姿を目の当たりにしていた当時の眞紀子氏には、根深い人間不信が宿っていた。
だが、16日夕方になって細川護熙首相が直々に弔問に訪れると、潮目が変わる。
長い闘いが終わった日
細川氏は一国の宰相であり、参議院議員時代には田中派にも所属したかつての弟子でもある。
田中家も遺体との対面を断ることはできなかったが、日本新党所属の細川首相を棺の場所まで通すのであれば、時の自民党総裁にも同じ対応をしなければならない――そんな眞紀子氏の判断で、すでに弔問を終えていた河野洋平総裁が急遽、呼び戻された。
「やはり顔を見てあげてください」
目白の私邸の2階に眠っていた角栄の表情は、長きにわたる闘いからようやく解放され、実に穏やかだったという。
1955(昭和30)年の保守合同による自由民主党結成に尽力した吉田茂元首相の側近グループ、いわゆる「吉田13人衆」の1人でもあった角栄は、自民党創始者としてのプライドを大切にしていた。
ロッキード事件を機に自民党を離党していた角栄だったが、あえて河野氏を呼び戻した背景には、父の「自民党愛」に敬意を示そうとした眞紀子氏の思いが垣間見える。

