親子ともに皇族経験のない旧宮家

旧宮家が皇籍を離脱したのは1947年10月14日のことで、それからすでに79年の歳月が経とうとしている。

したがって、断絶してしまった旧宮家も少なくない。その見込みの家もある。それは7つの家におよび、残っているのはわずか4つの家である。

そのなかに、皇族時代を経験している年配者もいないわけではない。だが、ほとんどは皇籍を離脱してから生まれており、皇族時代をまったく経験していない。生まれてから現在まで、ずっと一般国民として生活してきたのである。

存続が見込まれる旧宮家として一番古い久邇くに宮家では、離脱したときの当主は朝融あさあきら王である。離脱後は久邇朝融を名乗り、1959年に亡くなっている。

久邇宮朝融王(1901~1959)
久邇宮朝融王(1901~1959)(写真=大日本帝国軍/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

その後を継いだのは邦昭くにあき王で、離脱後は久邇邦昭を名乗り、現在も存命である。邦明氏には2人の男子がいて、1959年生まれの長男には男の孫が1人いるらしい。こうした男性が養子の候補者になるのだろうが、その男性は皇族を経験していないばかりか、その親でさえ同様なのである。

ここでは、話をわかりやすくするために、皇籍離脱した人物を「1世」とし、その子を「2世」とする。すると、養子の候補となる邦明氏の孫は「4世」になる。

養子対象になる「旧宮家男子」の実態

では、他の旧宮家ではどうなのか。

これについては情報が限られていて、世代が進むにつれてはっきりしなくなっている。それも一般の社会に溶け込んで生活している証しになるが、養子に入る可能性のある若い世代の男子は、どの家でも3世か4世である。

つまり、旧宮家の男子とはいっても、皇族を離れた人物の孫や曾孫なのである。

こうした世代にとって皇族時代ははるか昔の出来事である。祖父などからその時代のことを聞かされたこともあるかもしれないが、あまりにその時代は遠い。

ずっと一般国民として育ってきた人間が、いくら養子に入ることが可能になったからといって、それに応じるものだろうか。そこが大いに疑問であり、その点についてはすでに指摘した

しかし、ここで重要なポイントは、皇族経験をまったく持っていない人間が、皇室の身分を養子縁組で得ること自体が“極めて異例”だということである。伝統破壊だというのは、そこである。

では、その伝統とはどういうものなのだろうか。