和と雅の絶妙なバランス

和と雅の2人の関係について私がずっと感じていたのは、「正しいことをしたい」という根本的な価値観が同じだということです。それぞれにやり方はまったく違う。和は感情が先に出て、後先を考えずに患者のために走る――「泣キチン蛙」と呼ばれるほどよく泣く、感情の豊かな人でもある。一方、雅はもっと周到で、看護婦会の設立時に労働条件を一から整えるような緻密さがある。

物語を読んだ方の中には2人の関係について「ボケとツッコミのバディみたい」とおっしゃる方もいるのですが、まさにそういう感じで、和の直情径行に雅がバランスを取っている面がある。でも、2人は見ている方向が同じで、同じ方向に向って歩いているからこそ、横には目を向けず、互いに隣に並ぶ相手について何かを書いたり、記録に残したりしていないのではないか。それが大関和と鈴木雅についての史料からも読み取れます。

桜井看護学校1期生の卒業写真。左から鈴木雅、指導者のアグネス・ヴェッチ、大関和
桜井看護学校1期生の卒業写真。左から鈴木雅、指導者のアグネス・ヴェッチ、大関和(写真=医療法人知命堂病院提供

もうひとりの同期生、広瀬梅

私が本を書く中で初めて知った人物が、和や雅と桜井看護学校の同期生だった広瀬梅です。梅は桜井看護学校では、和や雅よりも10歳年下の同期生で、卒業後は慈善活動に努め、後に渡米し、看護師・助産師として多くの日本人移民を助けた方なんです。

梅さんだけで本が一冊書けるくらいすごいことを成し遂げた方で、勉強がしたくて家出同然に岡山から上京してきたり、津波で親を亡くした赤ちゃんを一人で育てようとしたり、アメリカに渡り、40年もの間、日本人移民のために尽くしたり、とにかくドラマチックな人生を送りました。梅を主人公としたミュージカルも作られ、2026年末に各地で上演が予定されています。

初期の看護婦は「選ばれし人」

それから、もともと歴史的には身分の低い人が病人の世話にあたっていたわけですが、桜井看護学校の一期生のメンバーを見ると、みんなすごく優秀なんですよ。私は最初、看護婦に対する偏見が強かった時代だから入学希望者が集まらず、寄せ集めのメンバーだったのかなと思っていたのですが、調べていくうち、選ばれて声をかけられた人たちだったということが分かってきました。

たとえば梅はもともと向学心があり、桜井女学校で英語を学んでいたからこそ英語で書かれた看護の専門書を読むこともできました。看護学校を設立したマリア・ツルーや矢島楫子やじま・かじこたちは「確かな技術をもった看護師」(トレインド・ナース)を育てるという高い志を持ち、その目的を達成するために優秀な女性たちを集めたのです。