和と雅は本当に親友だったのか
ただ、2人の経歴を調べていくと、ある特定の時期において、常に同じ場所にいるんですね。看護学校の寄宿時代が2年ほど、その後、帝国大学医科大学附属第一医院(現・東京大学医学部附属病院、通称・東大病院、以下「帝大病院」)で一緒に働いたのが2年ほど。そして一度離れて、また東京看護婦会で一緒に活動する。計算すると正味10年ていどなのですが、その10年の濃さが半端ではなかった。
私が2人に信頼関係があったに違いないと判断する決め手になったのは、雅が引退する際に、自分が立ち上げた東京看護婦会を和に譲ったという事実です。人生をかけて作り上げた組織を、信頼していない相手には渡せないですよね。2人は仲が良かったとか助け合っていたという史料は一切ないけれど、それぐらい結びつきが深かったと考え、バディとして描くことにしました。
2人続いて帝大病院を辞めたワケ
それに、和は看護学校修了と同時に帝大病院の外科の看病婦取締になり、医療界でその名を知らぬ者はいないほどの奮闘ぶりだったといいますが、そんな和が帝大病院を辞めた後、雅が3カ月後に続けて辞めているという事実も大きかったです。和は帝大病院時代に看病婦たちの疲弊が看護の質の低下にもつながると考え、待遇改善を訴えましたが、黙殺されました。
そこで、外科の責任者である教授の佐藤三吉宛てに看護教育の充実と看病婦の待遇改善を訴える建議書を提出しましたが、この建議を医師たちは許さず、和の看護婦としての能力を高く買いつつも、和を解任します。そこで和は帝大病院を去ることにしたのです。和はこの件について「私たちの思いは受け入れられなかった」というような内容で、不満を書き記していますが、和は自分1人ではなく「私たち」という言葉を使っているので、雅も同じ気持ちだったのでしょう。
もし和と雅の結びつきが薄ければ、雅はそのまま帝大病院にい続けたでしょうから。2人が同じ不満を抱えていて、和の去った病院ではもう続けられないと雅もおそらく思っただろうからこそ、辞めたのだと私は読んでいます。