朝ドラ「風、薫る」(NHK)の主人公、一ノ瀬りんのモチーフは看護婦のパイオニア・大関和(おおぜき・ちか)だ。作家の青山誠さんは「和の父親は栃木県にあった黒羽藩で、藩主と苗字を同じくする名門の出だった。しかし、家老を辞職後、50歳で病死した」という――。

※本稿は、青山誠『大関 和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』(角川文庫)の一部を再編集したものです。

中央は稲葉正己(館山藩主)、右から順に大関増裕(黒羽藩主)、松平太郎、勝海舟、石川重敬、ヴァン・ヴァルケンバーグ、江連堯則(外国奉行)
中央は稲葉正己(館山藩主)、右から順に大関増裕(黒羽藩主)、松平太郎、勝海舟、石川重敬、ヴァン・ヴァルケンバーグ、江連堯則(外国奉行)(画像=チャールズ・リーアンダー・ウィード/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

チカの父・弾右衛門、家老を辞す

大関弾右衛門おおぜきだんえもんは大政奉還の翌年、慶応4年(1868)8月7日付で黒羽藩くろばねはんの家老職を辞していた。この大変な時期に家老がいきなり辞めてしまえば、無責任だとか非常識といった批判が起こる。が、弾右衛門はそれに一切弁明することなく藩とは距離をおいた。

「家禄も屋敷も返上して、明日からは乞食をすることになるかもしれぬ。これも、大関弾右衛門の子に生まれし不幸を思って諦あきらめよ」

藩庁に辞表を提出した日、弾右衛門は家族を呼んでこのように宣言した。家老を辞職するだけではない。家禄や屋敷を返上して藩領内から退去する覚悟をしている。彼には2人の息子と3人の娘がいる。長女はすでに他家に嫁いでおり、きょうだいの中で一番の年長がこの年10歳になった次女のチカ(和)だった。

チカは次女で“空気が読めない”

チカは安政5年(1858)4月11日の生まれ。同年9月には「安政の大獄」が始まり、世の中が騒がしくなりだす。激動の幕末が始まった年に生まれた娘は、素直で真っ直ぐな気性に育った。少し真っ直ぐ過ぎて……時々、大人たちも手を焼いた。裏表のない正直者は、自分の感情を偽り隠すことができない。相手が誰であろうが、思ったことは言わずにはいられない。納得できない返答をしようものなら、いつまでも食い下がってくる。それがチカの平常運転なのだが、このときは何も言えずにただ驚き絶句するばかり。

家老の娘として何不自由なく暮らしてきた。この後もそんな暮らしがつづくと信じて疑わなかったのだが、明日からは禄も屋敷も奪われて路頭に迷うことになるかもしれないのだ。まったく予想していなかったこの事態に、思考が追いつかない。苦悶に満ちた父の表情を呆然と眺めつづけたという。

黒羽藩では長年にわたり4名の家老を置いていた。しかし、文久3年(1863)に第15代藩主となった大関増裕ますひろは、それを半減して2名とする大胆な人事をおこなった。そのひとりに当時まだ37歳だった弾右衛門が抜擢される。