朝ドラ「ばけばけ」(NHK)では小泉八雲をモデルとするヘブンの没後、妻が回想を語るくだりが描かれた。長谷川洋二著『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)より、小泉八雲(ヘルン)夫人のセツ本人が書き、語り下ろした『思ひ出の記』(1905年執筆)の終盤部分を紹介する――。

※本稿は、長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の一部を再編集したものです。

小泉八雲の妻セツと長男の一雄
写真提供=小泉家(無断複製禁止)
小泉八雲の妻セツと長男の一雄、写真提供=小泉家(無断複製禁止)

セツは夫の怒りやすい性格を熟知

ヘルンはよく人を疑えと申しましたが、自分は正直過ぎる程だまされやすい善人でございました。自分でもその事を存じていたものですからそんなに申したのです。一国者であった事は前にも申しましたが、外国の書肆しょし(編集部註:出版社)などと交渉致します時、何分なにぶん遠方の事ですから色々行きちがいになる事もございますし、その上こんな事につけては万事が凝り性ですから、挿画の事やら表題の事やらで向うでは一々ヘルンに案内なしにきめてしまうような事もありますので、こんな時にヘルンはよく怒りました。

向うからの手紙を読んでから怒って烈しい返事を書きます、直ぐに郵便に出せと申します。そんな時の様子が直に分りますから「はい」と申して置いてその手紙を出さないで置きます。二三日致しますと怒りが静まってその手紙は余り烈しかったと悔むようです。「ママさん、あの手紙出しましたか」と聞きますから、わざと「はい」と申し居ります。本当に悔んで居るようですから、ヒョイと出してやりますと、大層喜んで「だから、ママさんに限る」などと申して、やや穏かな文句に書き改めて出したりしたようでございます。

活溌かっぱつな婦人よりも優しいしとかな女が好きでした。眼なども西洋人のように上向きでなく、下向きに見て居るのを好みました。観音様とか、地蔵様とかあのような眼が好きでございました。私共が写真をとろうとする時も、少し下を向いて写せと申しましたが、自分のも、そのようになって居るのが多いのでございます。

43歳で得た長男をかわいがった

長男が生れる前に子供が愛らしいと云うので、子供を借りて宅に置いていた事もありました。

長男が生れようとする時には大層な心配と喜びでございました。私に難儀なんぎさせて気の毒だと云う事と、無事で生れて下されと云う事を幾度も申しました。こんな時には勉強して居るのが一番よいと申しまして、離れ座敷で書いていました。始めてうぶ声を聞いた時には、何とも云えない一種妙な心持がしたそうです。その心もちは一生になかったと云っていました。赤坊と初対面の時には全く無言で、ウンともスンとも云わないのです。後に、この時には息がなかったと申しました。よくこの時の事を思い出して申しました。

それから非常に可愛がりました。その翌年独りで横浜に参りまして(独り旅は長崎に一週間程のつもりで出かけて、一晩でこりごり色々のおもちやを沢山買って大喜びで帰りました。五円十円と云う高価の物を思い切って沢山たくさん買って参りましたので一同驚きました。