小泉八雲といえば、有名人だった

ある時散歩から帰りまして、私に喜んで話した事がございます。『千駄谷の奥を散歩していますと、一人の書生さんが近よりまして、少し下手の英語で、「あなた、何処ですか」と聞きますから「大久保」と申しました。「あなた国何処です」「日本」たゞこれきりです。「あなた、どこの人ですか」「日本人」書生もう申しません、不思議そうな顔していました。私の後について参ります。私、言葉ないです。ただ歩く歩くです。書生、私の門まで参りました。門札を見て「はあ小泉八雲、小泉八雲」と云いました』と云って面白がっていました。

「アメリカに居る時、ある日、知らぬ男参りまして、私のある書物を暫らく貸してくれと申しますので貸しました。私その人の名前をききません。またその男、私の名前をききません。一年余り過ぎて、ある日その人その書物を返しに参りました。大きい料理屋に案内しました。そして大層御馳走しました。しかし誰でしたか、私今に知らないです」と話した事がありました。

うそつき、弱いものいじめが嫌い

長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)
長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)

煙草に火をつける時マッチをすりましたら、どんな拍子でしたかマッチ箱にぼっと燃えついたそうです。床は綺麗なカーペットになっていたので、それを痛めるのは気の毒だと思いまして、下に落さぬようにして手でもみ消したそうでございました。そのために火傷いたしまして、長く包帯して不自由がっていた事がございました。

ヘルンの好きな物をくりかえして、列べて申しますと、西、夕焼、夏、海、游泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱などでございました。場所では、マルティニークと松江、美保の関、日御崎、それから焼津、食物や嗜好品ではビステキ(註:ビーフステーキ)とプラムプーデン、と煙草。嫌いな物は、うそつき、弱いものいじめ、フロックコートやワイシャツ、ニユ・ヨーク、その外色々ありました。先ず書斎で浴衣を着て、静かに蝉の声を聞いて居る事などは、たのしみの一つでございました。

【図表】ラフカディオ・ハーンと小泉セツの出会いから別れまで 
出典=『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)
小泉 セツ(こいずみ・せつ)

1868~1932年。松江藩士・小泉家の娘として生まれ、稲垣家の養女となる。1896年にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と入籍し、小泉セツに復籍。4子をもうける。1904年にハーンと死別し、1904年に『思ひ出の記』を発表