53歳で第4子誕生、「胸が痛い」

ヘルンは朝起きも早い方でした。年中、元日もかかさず、朝一時間だけは長男に教えました。大学に出て居ります頃は火曜日は八時に始まりますからこの日に限り午後に致しました。大学まで車で往復一時間ずつかかります。昼のうちは午後二時か三時頃から二時間程散歩をするか、あるいは読書や手紙を書く事や講義の準備などで費しまして、筆をとるのは大概夜でした。夜は大概十二時まで執筆していました。時として夜眠られない時起きて書いて居る事もございました。

(編集部註:第4子で長女の)壽々子の生れました時には、自分は年を取ったからこの子の行先を見てやる事がむずかしい。「なんぼ私の胸痛い」と申しまして、喜ぶよりも気の毒だと云って悲しむ方が多ございました。

第4子の寿々子
写真提供=小泉家(無断複製禁止)
第4子の寿々子、写真提供=小泉家(無断複製禁止)

赤ん坊のように妻セツに甘えた

私の外出の日はヘルンの学校の授業時間の一番多い日(木曜日)にきめていました。前日にはよく外に出かけてよいおみやげを下さいと親切に注意致しました。「歌舞伎座に團十郎、大層面白いと新聞申します。あなた是非に参る、と、話のおみやげ」など申します。そしていつも「しかし、あなたの帰り十時十一時となります。あなたの留守、この家私の家ではありません。如何につまらんです。しかし仕方がない。面白い話で我慢しましょう」と申しました。

晩年には健康が衰えたと申していましたが、淋しそうに大層私を力に致しまして、私が外出する事がありますと、丸で赤坊の母を慕うように帰るのを大層待って居るのです。私の跫音あしおとを聞きますと、ママさんですかと常談など云って大喜びでございました。少しおくれますと車が覆ったのであるまいか、途中で何か災難でもなかったかと心配したと申して居りました。